On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

飲酒事故で亡くなった東大生、高原君のこと

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 前回のブログで2012年に起きた東大生の飲酒事故に言及した。

 

queerweather.hatenablog.com

 

  事故に関しては下の記事に簡単にまとめられている。

www.bengo4.com

 

 改めて記事を読むと当時の記憶が蘇って来る。

 僕は高原君の友人だった。その死亡の報を聞いた時、あまりの驚きで、自分が地面にぽっかりと空いた穴に突然入れられたような、あるいは最初から自分は地面に空いた穴に入っていたにもかかわらず、それに突然気付かされたような、周囲からの遊離感覚を覚えたことを今でも生々しく思い出せる。そんな感覚に陥ったのは後にも先にも初めてだった。

 

 一応付け加えておけば、僕は高原君とそれほど親しいわけではなかった。友人というよりは、「知り合い」レベルが正しいだろう。気怠い前期教養学部の日々、移動する生徒らで時に満員電車のように混み合う廊下を、心底嫌になりながら通行する途中、たまたま遭遇すると声を掛け合い、時間があれば二、三の言葉を交わす、そんなものだった。

 しかし、友人の死亡は僕にとって初めてだったことから、当時は激しく狼狽した。

 

 そして、徐々に明らかになったその死のありようもまた、僕にとって衝撃的だった。例えば上に貼り付けた記事では、急性アルコール中毒に陥った高原君が、意識不明の状態のまま放置されたとある。それも失禁により汚れたズボンを脱がされた状態で。

 このような状況を、あらためて今残酷なものだと感じるのである。

 

 この事件の半年ほど前、僕はサークルの夏合宿で激しく飲み過ぎるという経験をした。視界がぐるぐる周り、立つことはままならない。ものを考えようとすると視界の隅を色とりどりの明滅が多い、それらが徐々に視野を侵食して来るため、意識を失いそうになる。

 この状態を抜け出すまでの間、自分の招いた窮地に苦しみ、アルコールの浸透圧で収縮してしまった脳で、僕は必死に死ぬのを怖がっていたし、かつまた同時に、そのような自分を哀れにも滑稽にも思っていた。

 

 このようにはっきりした記憶が残っている以上、今から振り返ると大した状態ではなかったのだと思う。しかしそれでも怖かった。まずいところまで来てしまったと思った。

 

 本題に戻るが、僕はそれをはるかに進めたような状態で放置された高原君は本当に怖かっただろうと思う。いや、もはや彼が正当にもつべき「怖い」という感覚は、それが芽生えたそばから、瞬時にアルコールにより洗い流されてしまっていただろうから、「怖い」と感じることすら叶わなかったかもしれない。

 喧騒から離れた場所に置かれて緩慢に流されていくように死に向かう彼に、誰も気づくことがなかったのは、まごうことなき悲劇だと思う。

 

 ところで、僕は高原君の飲酒事故について、自分しか読むことのない日記、小説、そしてTwitterなどで明示的な形にせよ、非明示的な形にせよ、繰り返し言及してきた。繰り返し言及しながら、また、悲しい出来事に繰り返し立ち帰ることの意味はどこにあるのだろうと考えて来た。

 この種の問いに往々にして与えられるのが、「体験の意味を自分として掴み直すため」という回答である。

 

 繰り返し立ち帰らざるを得ないような体験は、既有の思考の枠組みを背景とした安易な意味づけから逸脱するような重みを持つ体験である。それらは、一旦消化したと思っても、一定の時を経て再び自分の前に新たな問いとともに立ちはだかる。

 そのような出来事に繰り返し立ち帰ることは、安易な意味づけをする自分自身の思考枠組み自体を時間をかけて変容させることを通し、体験を消化しようとする試みなのである。

 

 この説明自体は確かに納得感があるのだが、一方、一旦考えてやっと腑に落ちるというような説明であることだな、と常々思って来た。表現があまりしっくりこない…。

 

 今年の四月にたまたま手に取った大江健三郎のエッセイ「資産としての悲しみ」(1984年)は、この問題に関し、腑に落ちるような説明を僕に与えてくれた。端的に言えば、悲しい出来事に繰り返し立ち帰ることの意味とは、その悲しみと共に生きていくためだ、と大江はいうのである。

 このことに関しては、僕が別にやっているブログに書いたので、興味があれば参照されたい。

 

summery.hatenablog.com

 

 僕は高原君が死ぬことになったこの飲酒事故について、今後も繰り返し立ち帰ることになるだろう。悲しみはそう簡単に消え去りはしないが、それを消そうと蓋をするのでなしに、それについて考え続けることで、むしろ悲しみを深めていこうと思う。

 そうして次第に深まりゆくそれを、手放すことなく大切に持ちながら、僕は僕として生き続けていこうと思う。大変利己的に思われるかもしれないが、僕がそれ以外にできることはないのである。多分。

「ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。」

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 大学の学部生だった時に、数人の家庭教師をやっていた。その中に、今でも継続的に付き合っている生徒がいる。もう僕は「教師」ではなくなり、彼は「生徒」ではないのだから、僕にとっては年若い友人だ。

 昨日彼と喫茶店で喋っていた時に、印象的だった下りがあった。とても温厚な彼が、最近例外的に怒ったことに関して。それはこんな具合である。

 

 ある日、年下のいとこ(女の子)に会いに行った時のことである。彼は、彼女が、彼女の母親、従って彼にとっての叔母に、事あるごとにお辞儀をすることに気づいた。

 それを奇妙に思った彼は、なぜ親にお辞儀をするのかと聞いたという。すると、彼女は、両親というのは敬うべき存在であるから、そうするように学校の先生にならったといったらしい。

 

 彼のいとこの女の子は、中国で教育を受けている。儒教のバックグラウンドを持つ国の教育だから、そのように年上の人を敬う動作を、やや過剰に要求する保守的な教員もいるのだろうと、そう思いながら僕はふんふん話を聞いていた。

 

「生まれたくて生まれたわけじゃないじゃないですか。」

 これが、彼の怒りを喚起したらしい。その場ではそれ以上話を深めず、帰路についたが、中国から日本までの飛行機の中、そのことについて考えれば考えるほどおかしなことだと思われたため、普段滅多にしない電話をわざわざ中国につなぎ、いとこに説教をしたという。

 

子供って生まれたくて生まれたわけじゃないじゃないですか。基本的に、親が欲しくて産んでいるわけですよね。だから、子供の世話をするのは親の責任であって、敬うとか、恩返しとかとんでもないと思うんですよ。

 

 確かに、と僕は思いながら聞いていた。同時に、私が元「教師」であることもあってか、自分の意見を私に対して強く主張することのあまりない彼が、思いがけずやや強い口調でその論理をまくしたてたのには驚いた。

 本当は生まれることのなかったものを、この世に産み出してしまうこと、そこに潜む親のエゴ、産みの暴力。「へえ、そんなこと考えるようになったんだ」といつまでも「教師」目線で評価を与えてしまう自分を、やや不快に感じながら、一方で僕は素直に感心していた。感心しながら、また正体の不明な動揺を自分の中にさぐり当ててもいたのだ。

 

「死にたくはなくって。」

 その動揺がどのような性質のものか、はっきりと掴めない数秒間のあと、僕は振り返ってみれば自分としてぎりぎりの、しかし発言した当初においては、何がぎりぎりなのかよくわからない発言をしたのである。

 

生まれたくて生まれたわけじゃないというのは本当にそうだね…。そしたら、でも、生まれたくないと思っていたかどうかも、わからないよね。生まれてないわけだから。

私がその時に戻って選択できたら、どういう選択をしたんだろう。そのときにどう思うだろうかなんて、そんなこと考えること自体、意味ないかもしれないけど…。だって何も考えられないわけだし…。

 

 すると彼はしばらく眉間にしわを寄せて考えていた。中学一年生の時の家庭教師初日、彼を小さな部屋に見出したときの、「中肉で、背はとても高いのに、俯き加減だからか、線の細い子だな」という印象は、ここ数年ですっかり覆り、依然少年らしい丸みを帯びている一方、はっきりと角ばりの契機を見いだせる、首筋から肩にかけての、改めて見ると想像以上にがっしりとしたラインを、僕は触るように目でなぞっていたのだ。

 彼はこう返した。

 

ただ僕は、死にたくはないと思っているんですよ。死にたくはなくって。

 

 この彼の返答に僕は満足した。そして、その前の僕の発言が、「生まれたくて生まれたわけじゃない」から、「本当は生まれたくなかった」という風にして、死に向かっていくのではないかと、それを危惧してのことだったとすぐに理解された。「生まれたくて生まれたわけではない」は「生まれたくなかった」とイコールではない、「生まれたかった」わけではないけれど、「生まれたくなかった」わけでもない、と言いたかったのだ。

 

「ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。」

 大学二年生の時、僕がちょくちょく顔を出していたゼミの先生が、退官記念講演の場において、僕を含めたゼミ生に言った言葉を思い出す。

 

僕は君たちに幸せに生きていって欲しいと積極的に願うことはない。そうであったら嬉しいし、一緒に喜ぶけれども、別にそうでなくても構わない。不幸でもいい。ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。

死ぬことが常に悪い選択か。客観的に言えば、そうだとは思わない。死を選ばざるを得ない状況はあるのかもしれない。そこで、「死ぬな」というのは、場合によっては残酷かもしれない。

だけど、僕は僕のエゴで、君たちに「不幸でもいいから、死なないで欲しい」と、そう思う。君たちが死ねば、僕は君たちと、一生話をする機会を失うのだ。それはなんということだろうと思う。

 

 本当は死んだ方が楽な場面で、「死ぬな」と叫ぶのは叫ぶ主体のエゴでしかない。そう叫ぶ理由は、「「私が」死んで欲しくないから」という風に、叫ぶ主体と切り離せない形でしか提示できない。

 「生まれたくて生まれたわけじゃない」に対して、僕は何よりも、「君が生まれてきてくれてよかった、そうしてこうして話ができていること、それが僕には、本当によかった」と言いたかったのだ。

 いくら、「僕が」そう感じるからといって、それは彼にとっては全く関係のないことだ。全く関係のないことだが、僕のエゴとして「君が生まれてきてくれてよかった」と思い、また、「死んで欲しくない」と思う。なぜなら、「僕にとって」君がどこかで生きていて、気が向けば話をすることができるということが、重要だからだ。

 

 教師の言葉をここで思い出すあたり、僕はやはり、彼を「教師」の目線から見ているのだろう。教えることも一つの業だ。なぜなら、僕はこのように、「生まれたくて生まれたわけではない」彼に対し、彼を産み落とした両親と同様生きることを要求する側に回っているからだ。

 

僕のエゴ

 教えることだけではなく、人間として関係を切り結ぶこと自体が業かもしれない。

 

www.bengo4.com

 

 大学一年次、上の記事で書かれている飲酒事故でなくなった友人の葬式でわあわあ泣いた僕は、けれどもまた、人が生を送り、やがて死を迎えるというこの行路に対し、異議を申し立てるかのように泣くことの自分勝手さを感じなくもなかった。

 僕が「死なないで欲しかった」と思うこと、それは完全に僕の事情じゃないか?

 

 基本的に自分勝手な僕が、最も自分勝手になるのは、友人に対し、家族に対し、またはまだ見ぬ無数の人々に対し、「死なないで欲しい」と思う瞬間かもしれない。そして、僕はその自分勝手さを積極的に解消しなければならないとは全く思わないのである。

 残念ながら僕は自分勝手だけど、それでも付き合ってくれる人たちに本当に感謝するし、愛おしいと思う。

 

 

地方コンプレックスが強すぎてつらい その2

 こちらの続き。

queerweather.hatenablog.com

 ここで私はあえて「田舎」という言葉を使ったけれども、これは具体的に人口が何人以下とか、この施設がないとかあれがないとか、その内容を詳細に定義してもこの際意味のないものだと思っている。田舎とはそこにいるものの意識の問題だ。

 私は自分の生まれ育ったところが田舎だと思っている。このブログで私は一番最初に、属性を分断するような考え方は嫌いだと言ったばかりなのに、早速こうやって「田舎」と「非・田舎」を二項対立的に配置しようとしているし、その中で自分は確実に「田舎」の側に属している、とさえ思ってしまっている。

 

 ものすごく乱暴に言うと、東北の人間は、東北地方は日本の中で最も「田舎」であり、価値が低く、遅れていて、何もないつまらない場所なのだ、と思って生きているのだ。

 「まだ東北でよかった」などという誰かの発言も記憶に新しい。これを誰がいつどういう意図で言ったかという個別の問題は置いておくとして、この件をニュースで聞いたときに私が感じたのは、悲しいとか憤りというよりも「またか……」という絶望感だった。発言自体にというよりも、そういう発言をついうっかりできてしまえるような土壌がそもそも存在することに、絶望感を覚えたのだ。

 東北地方は重要性が低い、ということは、現地の人間にもそれ以外にも、悪意なく、さりげなく、確実に刷り込まれている。もちろんこれは冒頭で述べたように、実際にその土地がどの程度の重要性を持っているかという具体的な問題ではなく、そういう意識が共有されているという話である。東北は、自分たちは他地域から田舎だと思われているのだ、という意識の強さにおいて、確実に田舎だ。

 

 フィクションの中で、野暮で愚昧でぶっきらぼうな田舎者のアイコンとして、東北方言を模した役割語がどれだけ普及していることか。もちろん「標準語」に対して地方語が過剰にキャラクターを強調した文体として使われるのは、別に東北方言に限ったことではない。それでも、九州方言(のようなもの)を話すかわいらしい女の子や、関西弁(っぽいことば)を使うスマートな青年がありふれているようには、東北方言(らしい口調)は登場しない。必ず、蒙昧で洗練されない色がつく。今時ネイティブアメリカンのキャラクターに「インディアンウソツカナイ」みたいな片言をしゃべらせるなんてことは誰もしない、そういう共通理解はあっても、東北出身の人間や、あるいはどこか宇宙の田舎から来た生物に「東北方言らしきもの」をしゃべらせて笑いを取るのは普通の表現手法というわけだ。

 逆に、フィクションもノンフィクションも、何かがある、あるいは何かがあるということが話題になるのはいつも東京だった。ヒーローはだいたい東京にいるし、ふつうの男の子や女の子が住んでいるのも東京。そして例えば、東京っ子のスネ夫は自分の手に負えなくなった「ペット」の岩を、はるか辺境の地である青森に捨ててくる(てんとう虫コミックスドラえもん』第37巻「かわいい石ころの話」)。小さい頃から、東北の地名が取り立てて物語に登場する場面といえば、そういう例ばかり見せられてきた。

 

 誰も東北の人間に面と向かってお前は田舎者だ、とバカにして言うわけじゃない。だけど、東北に田舎という価値付けを行うことはずっと変わらず、当たり前にされているまま。だから、「まだ東北でよかった」と言われて、まあしょうがないよね事実だもん、と東北の人間自身が納得したとしても、当然のことだと思う。否定するには、あまりにもそういう考え方に慣れ親しんでしまっている。

 私が実際に東京に住んで分かったことは、本当は東京には何でもあるというわけではない、なんてことではない。地方にあるときはあれほど中央の存在を意識せずにいることはできなかったのに、中央にあっては地方などいともたやすく意識から消え去ってしまう、ということだ。これだけ鬱屈とした気持ちを溜めこんできたはずなのに、東京で暮らす人間の一人として生活していると、いかに東京の人間が東京≒日本だと思い込んで暮らしているかということを忘れてしまいそうになる。全国メディアのトップニュースが東京のローカルニュースでも何も驚かなくなる。地域ギャップの再生産に加担すらしてしまう。だから、東京には本当になんでもあるのだ……もとい、東京にあるものしかない、ように見えるのだ。

 

 もちろん、だからといって私は東京になれるわけではない。前回の話の通り、非・田舎で生まれ育った人との間に分断を感じずにはいられなかった。私は何も知らず、何も持っていなかった。ただ、それは私が悪いんじゃなくて、私の生まれが田舎だからなのだ。正確には、東北が田舎だから悪いのではなく、東北に田舎というレッテル貼りをする非・田舎があるから悪いのだ。そしてそう考えるとき、私は既にその田舎というレッテル貼りを受け入れてしまっている。東北の人間である私に染み付いた田舎根性はもう剥がれない。

 地元東北に対して過剰に卑屈になりたがり、そのくせ他地域から軽視されることにはえらく敏感で、東京は何でも持っていていいなあと羨ましく思いながら、持てるものの傲慢さを攻撃してしまう。ねじくれた地方コンプレックスだ。

 東北が、東京がと言ってきたけれど、それはたまたま私がそこに住んでいたからその地名を挙げただけで、例えば横浜にはコンプレックスを感じていないのかとかそういうことを議論したいわけではない。他の地域の方で、東北なんか田舎で当たり前なのに今更何を、と思う方がいるかもしれないし、あるいは俺の地元はもっと田舎だ、と思うことがあるかもしれないが、いずれにしろ「田舎」と非「田舎」にギャップがあるという事実を補強しているだけだ。私はギャップをなくしたいのに、この問題に限っては、どうしてもその考えを捨てることができない……

 

 最後に、ちょっと気に入っている本があるので紹介したい。増井元『辞書の仕事』という岩波新書の一冊。この本、第4章の「不適切な用例」という節の冒頭で紹介されている事例が、もう大好きで仕方ないのだ。

 岩波国語辞典の「くんだり」という項目の中に「青森くんだりまで来た」という用例があった、という話。辞書を引いた地元の中学校の先生から丁寧な手紙が届いて、編集部一同「胸のふさがる思いにとらわれ」たという。

 読んだとき、もういっそ、してやったり!と思いましたよ。あーやっぱり俺の被害妄想じゃないんだ、事実なんだ、言質とったぞって。東北が田舎だっていうことは、辞書を作る人も誰一人そのことに気がつかないで載せちゃうくらい、当たり前のことなんですよね。辞書を引く人間の中に青森の人間がいるなんて誰も思わないくらい、どうでもいい土地って思っていただいてるんですよね。例に挙げられたのがまだ青森でよかった。

 

 私、地方コンプレックスが強すぎて、つらい。

 

物語る力/創作の力とは何か

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 最近、twitterで自分と同じように、中高の教員をしている人をフォローするようになった。そうしてフォローした中の一人がつぶやいた以下のようなつぶやきが、昨日私のタイムラインに投稿された。二つの企業に内定した卒業生に対して、教員をしているツイッタラー、「あすこま」氏が投げかけた言葉に関するものである。

 

 

 上記のつぶやきに関し、僕は違和感を覚えたのである。

 

 

「「物語創作」のパワー」とは

 違和感を述べる前に断っておけば、僕は上のあすこま氏の、生徒の背中を押すような指導のあり方と、生徒がどのような選択をしようが「自分の人生もなかなか捨てたもんじゃない」と思うことができるようにあれかしと願う気持ちには好感を覚える。教師はそうあるべきだと、無責任な同意を送りたくなる。

 

 しかし一方で、「「物語創作」のパワー」を自分の人生を肯定することに結びつける氏の議論には首をかしげてしまう。

 何か語ろうとする事柄があり、それを語りたいという欲望があり、そしてそれを仔細に語りつくそうとすること。それを徹底的に行おうとすれば、多くの場合、当初自分の想定したものと異なるような結末に至るものではないだろうか。もしくは、何ということのないはずの細部や断片が思わぬ意味を持ち始めて、物語が単一的な線を逸脱し、自己瓦解に導かれるものではないだろうか。

 「「物語創作」のパワー」は、自分の生き方を、自分にとって肯定的なものとして認識するための、単なる技術に還元されるものではない。そう僕には思われるのだ。

 

 

 創作は必ずしも人を幸せにしない

 おそらく、あすこま氏は、物語創作を授業に取り入れることで、生徒たちが「自分の人生もなかなか捨てたもんじゃない」と思うことができるような技術を生徒たちに授けたいと思っているのだろう。氏の教育実践との関わりから、上のつぶやきは読まれるべきであると考えられる。

 もちろん、それができるのは一つの力だ。いかなる状況にあっても、「「物語創作」のパワー」により、「捨てたもんじゃない」と思えるのなら、その人は大丈夫だろう。国語科の目的に「生きる力」の養成を置くのであれば、あすこま氏の主張は一定の正当性がある。

 

 しかし一方で、僕自身は、それをどうしても行うことができない生徒の立場に立ちたいと思っている。

 そもそも、それができない生徒らは、「「物語創作」のパワー」を持たない故に、そのような状態に陥っているのだろうか。むしろ、事態は逆であろう。

 「捨てたもんじゃない」と言い切ってしまうことに違和感を禁じ得ず、常に「本当は自分の生などどうしようもないものなのではないか」という不安と戦う生徒の、その不安もまた、「「物語創作」のパワー」により生じてきている。なぜなら、彼らは、「捨てたもんじゃない」で語りを終えることができず、さらにまた、語るべきことがらを見つけてしまうからだ。彼らは創作のパワーを有するが故に、創作が終わってもなお創作を続けるのである。

 自己の人生を肯定的にとらえたいという自分の中の欲望や、「お前は自分が幸せでないとでも言うつもりか?」という周囲の無言の圧力。それらから不可避に生まれてくる、「「捨てたもんじゃない」人生」という名の支配的な物語は、都合のいいところで終わることに争い、終わってなおも創作しようとする強靭な語りの力の前では往々にして、掘り崩されてしまう。

 

 物語の創作を、徹底的に行おうとすること。それは必ずしも人を幸せにしない。それはむしろ、幸せと自認していた生活が思いがけず抑圧していたものを暴露することになりかねない。結局、創作の力の極北には、創作が創作でなくなってしまう地点がある。

 

 

創作を破壊する創作の力

 そこまでいかない段階で、自分にとって都合の良い物語を作れるような技術を学び取り、人生を幸せに生きていこう、という主張はよくわかる。と同時に、物語る力の欠如ではなく、むしろ物語る力の過剰によって、それがどうしてもできない人たちがいることが、繰り返しになるが、僕には気になってしまう。

 そして、僕自身の中には、そのような物語る力の過剰さとともにある生徒らに対する願いがある。

 それは、「本当のところ自分の人生はどうしようもないもの(捨てたもの)かもしれない」という不安を持ちながら、「しかしそれがなんだというのだ、それでも僕は生きる」といきりたって生きていってほしい、という願いだ。「なかなか捨てたもんじゃない」というような脆弱な物語でかろうじて生きながらえるのではなく、否定性の中でも立ち上がって欲しい。どうか語るのをやめないで欲しい。

 

 物語る力の過剰さの中で、いくつもの物語を最終的に完結させずに終わる子らは、綺麗にまとまった物語のうさんくささを知るだろう。そうして、自分を究極的な局面で生かすのが、いま自分を支配している物語の枠組みの論理から考えた時、むしろ違和感を感じさせるような言葉だということがわかるはずだ。

 どういうことか。

 例えば、物語があなたを破滅に導こうとする際に「それでも僕は生きる」と生を引き受けるときの、「それでも」という言葉は「どうしようもない生」という不安を抱えた時の「なら死んだ方がマシ」という自然な帰結における「なら」に比べて、順当な接続ではないという意味で、物語内論理に従わない接続をもたらしている。しかし、そこで「それでも」と言ってしまうことで、私たちはその地点から、また別の物語を立ち上げることができる。

 

 支配的な物語から逃れ、新たな物語、自分自身の物語を開始することは、支配的な物語のストーリーラインから見れば奇妙に思われるような接続、または文法の破格によってもたらされる。それは、既存の物語の枠組みから見た時、むしろ話者の創作の力の欠如・瓦解を意味する言葉の使用だろう。

 しかし僕は、それもまた創作の力に他ならないと思う。それは、すでに創作されたものに対する破壊の一撃を加える。体裁の良い物語、耳障りのよい物語を生産することとは少し異なるところにある、物語の破壊と表裏一体の物語る力。それを僕は、幸せな物語に容易に安住できない子らに、身につけていって欲しいと思うのである。

 

 

 

アニメFree!、自由、規範(寄せられたコメントへの応答)

 私が以前投稿した記事にコメントを寄せてくださった方がいらっしゃいましたので、その質問への返答をしたいと思います。当該記事はこちらです。

 

queerweather.hatenablog.com

 

 

 頂きましたコメントを以下に紹介します。

 


>>nittyoku

 こんにちは。ご記事興味深く拝見しました。私は学生です。
 自分はFree!を見たことがありません。その前提の上で、ご記事に関して二つ質問したいです。

「その過程で社会通念から大きく外れてしまっても、自分にとって生きている場所からしか生き続けることはできず、それでも結果として未来へむかって生き続けることとなる。自分の言葉でまとめてしまうと、そのようなキャラクターたちの姿に、私は「自由」を感じ、いたく魅力を感じたのだと思います。」

とありますが、この部分、果たして「自由」なのかなと疑問を抱きました。「それでも結果として未来へむかって生き続けることとなる。」というのは、強いられているようにも取れます。
 中江さんがここにどのような自由を見ているのかをお聞きしたいです。

「現在の日本においては一般的な、男性から女性への肉体的な欲望が当然視されながら、女性の欲望については抑圧しているという性的規範の逆と言えると思います。」
 
 と書かれていますが、腐女子による男性身体への欲望も、また女性身体に欲望を抱かない草食系男子の存在も、周知のものであり、これもまた、現代の日本において「一般的」な規範のようにも思われます。この点に関してご意見いただけますか。


 よろしくお願いします。

 

 

 nittyokuさん、コメントありがとうございます。

 

 さて、まず①から答えていきたいと思います。「自由」という言葉の定義をどの程度しっかりしているかということが問題になると思います。まず、私はブログの記事ということもあり、特定の分野における用語というよりあくまで一般的な意味あいで、用いました。要するにかっちりした定義で使ってはいないのですが、それゆえ文脈から寄せたニュアンスのようなものがあると思います。

 

 付言して説明するならば、現在において身体というものはどうしようもなくあり、生活している現在という時点は逃れられないものですし、身体を動かして何かをするとき物理法則には従わざるを得ません。しかし、心の中では、過去は現前性を帯びることがありますし、人々がそれぞれに内面化している社会のルールに、行動、自分がなにをするか、を縛られることなく生きることは可能です。身体というより精神の自由。行動というより内心の自由。そういったつもりで書いたことを付け加えさせていただきます。

 

 また、コメントから伺うに、nittyokuさんは「自由」を「強いられる」ものの対極の意味で使ってらっしゃると思われますが、それでしたら、アニメを最後まで見ていただけたらわかると思うのですが、主人公は強いられるというより、いわゆる自由意志で、未来を選択し、決断しました。記事中でも「結果として」と書きましたが、未来へ向かって生きていくにあたって「強いられる」ことの表現はないのではないかと考えます。

 

 頂いた質問の②についても今日回答したかったのですが、溝口彰子さんの『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』と北田暁大さんの『社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法基準』を読み直してから書きたくなったので、次回ということにしたいです。

 

ともあれ、nittyokuさん、コメントありがとうございました!

今学期の雑感

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 毎週日曜日、この時間になると、「明日からまた仕事か」という気分になる。教えている生徒たちが休み中にどのように過ごしているのか、そのようなことを想像し、かつまた時にはにやけながらも、「明日の一限は…」ということを一つ一つ考えはじめ、頭を仕事に戻していく。

 最初の記事で書いたように、僕は今、中高一貫校の教員をしている。今日はそのことにつき、つらつら書きたいと思う。

 すでに広く知られているように、学校は労働環境としては決して楽ではない。新米職員で、部活を任されていない(正確には、二学期まで「留保」されている)けれども、にもかかわらず、それなりに辛いのである。日々の業務で労働時間は大抵埋まってしまうが、それ以外のイベントに関わる業務がここに挿入されてくる。

 一学期は、新しく入ってきた高校一年生向けのオリエンテーション合宿を運営するとともに、裁判所への社会科見学を担当した。どちらも本当に面倒だった。

 とはいえ、前者を命じられたその瞬間は期待に胸を高鳴らせたのであった。というのも、僕は合宿という学校行事が大好きな生徒だったからだ。

 合宿の夜にはいつも楽しいことがあった。見回りの先生たちを気にして息を殺しながら、それでも大騒ぎしたり、寝ている友達にいたずらをしたりと色々なことが思い起こされる。いつもと異なる時間がそこにひらけていて、それを共有している共犯者の喜びが、僕と友人たちの間にあった。

 ただ、教員としてそれを引率するのは正直、もういいや、という気分である。様々な雑用の集積と、気の休まらない夜。「そうか、僕は生徒を寝かしつける立場になったのか」と今更ながら驚くような思いで、眠い目をこすって一つ一つの部屋を回った。

 「寝るか、寝ないで遊ぶかということは僕たちの自由だろう」と正面から論戦を挑んでくる生徒もいた。「きちんと眠らなければ、明日の行程に差し支える。この合宿は、決して遊びで来ているのではないのだから、夜休むというのもプログラムの一つであり、義務である。」という風に応対した。そしてこの応対をしながら、僕は自分のあまりにも教師然とした物言いにうんざりしてしまったのだ。うんざりしながら部屋に帰った。

 教員には個室が与えられていて、自分が生徒だった頃の、ワクワクする深夜の時間とは全く隔たった、孤独と生活の香りのする空間がそこにある。1時を回っているのを時計で確認してから、次の日の行程を改めて見直し、訪問先のチケットが全員分あるかを数える。純然たる労働であった。

 後者の、社会科見学のアレンジも、面倒といえば面倒な仕事だった。連絡を取って人数を告げ、当日の諸注意を聞き、あらかじめそれを周知して、連れて行く、ということに話はおさまらない。

 学校の枠内でやっている以上、何らかの教育的課題を設定することは必須で、それに連動して総合学習の時間に調べ学習をやらせる、その計画を立てなければならない。事前学習のために弁護士をやっている卒業生に連絡を取らなければならない。規程に乗っ取り、呼んだ弁護士の卒業生にいくらの謝金を払うか決定しなければならない。それに対して承認印をもらうために管理職まわりをしなければならない。

 うーん、うんざり。生徒のためになれかしと思うのだが、引率はとにかく注意を払わなければならないことが多すぎて、生徒の反応を伺う余裕などないのだ。 

 最後に、授業の方だが、今学期至極オーソドックスに黒板を使って教科書の文章を皆で読んでいくような形で進めた。熱心に聞いている生徒もいれば、全く関心のなさそうな生徒もいた。よろしい、これが学校である。

 授業に関しては、学生時代もバイトでことあるごとにやっていたこともあり、想像通り、という感じだった。

 ▽

 以上で終わりで、今は期末テストを作っている。本当になんの工夫もなく、列挙して終わりなのだが、そう言えば先週、ちょっと変わったことがあったので、それだけ書き留めておく。

 先週金曜日、僕が担任をしている教室の隣のトイレでコンドームを拾った。開封済みのものが、だらりと落ちていて、僕はためらうことなく素手でそれを拾った。生徒たちの数人が、それを袋から開けて、びろびろとだらしなく振り回して遊び、そのまま落としたかなんかで、そこに落ちていたと疑いもしなかった。

 だから、「男子校だよ、こんなの持っていてどうするの」と独り言まで言ったのである。そして言った直後、「男性同士の性交渉でも使うのでは?」と思い当たり、固まってしまった。

 もしその独り言をたまたま誰かが聞いており、そしてたまたまその子が「男性」とは異なる性自認を持っていたら、僕の独り言は問題になっていたかもしれないと思う。いや、もう時代が時代だから、どのような生徒に聞かれていても、問題となっていたかもしれない。幸い、誰も聞いていないようだった。

こういう事柄は本当にデリケートに扱わなければ、と感じたのだった。

地方コンプレックスが強すぎてつらい その1

 先日の江藤の記事に見るように、「東大とはいえしょせん文三」というような風潮があること自体は確かにそうかもしれないと思うが、私自身はそのような意見をやや他人事のように感じてしまう。ここでその原因を出身地域と結びつけて考えてしまうのは、私がコンプレックスを意識しすぎるせいだろうか。

 そもそも入学当時から今に至るまで、私は文三であることを理由にした批判に直面した記憶がほとんどない。田舎であれば「文三だろうがとにかく東大」という意識の方が圧倒的に根強いはずだもの。私は田舎の生まれだから、そう感じてしまう。そして、「田舎の生まれだからそう思う」のだと、思ってしまうことをやめられない。

 私、地方コンプレックスが強すぎてつらい。

 

 生まれも育ちも東北の地方都市で、大学に入学してからはずっと東京にいる。出身地に関するコンプレックスはもともと私のどこかにあったのだろうが、上京して以来ことあるごとに顕在化するようになった。正確には「上京して」なのか「大学生になって」なのか、あるいは「東大に入って」なのか、どう表現するのが適当なのは判断しかねているが、とにかくそのタイミングでコンプレックスを意識せざるを得なくなることが一気に増えたのは間違いない。

 

 入学したばかりの私だったら「しょせん文三」なんて恐れ多くて言えたもんじゃなかっただろう。大学名の前に、科類の優劣であれこれ言うなどという考えが起きるはずもなかった。文学や歴史にものすごく詳しい人、志の高い人が実際にいるんだろうなと期待していたし、まあそうは言っても私みたいなものもいるくらいなのだから、みんながみんな雲の上なわけでもなく、それなりにてきとうにやっていけるんだろうなという気持ちもあった。

 現実はそんな理想とはまるでかけ離れていた、が仮に事実だったとしても、そんなことはほとんどどうでもいい。致命的だったのは、現実はそうではないんだ、そうじゃないのに期待なんかしちゃって……という、冷笑的な態度が支配的だったことだ。

 そういう態度がスタンダードだった。そういう態度がスタンダードである、という共通認識が既に出来上がっていた。俺は戸惑った。みんなもう少し同じように戸惑っているのだろうかと思ったら、戸惑っている素振りを見せるようなやつを笑うという立場が、取るべきスタイルとして周知のものになっていた。少なくとも自分にはそう見えた。

 そんなこと聞いてねえぞ、大学生とはこーいうもの、ということまであらかじめ知った上で大学にやってくるものだなんて。地方公立高校出の私は、大学より先のロールモデルになる存在が身近になかったし、またあえてそのような情報を得ようともしてこなかった。結局、俺が周囲の態度についていけないのは、世間知らずの田舎者だからなのだ。何も知らないから、誰もしないような非現実的な理想を期待して、一人で戸惑っているのだ。

 

 このへんのことは痛みが記憶に新しいので、まるで客観的な判断を下すことができない。みんなどう思っているものなのか。そんな若気の至りのようなスタイルを真に受けていちいち感傷的になっている私がイタいだけか、それとも、そういう冷笑的な態度もある意味では正論だったと思っているのかしら。

 

 いっぺん仕切り直して続きます。