On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

アニメ『Free!』を観た感想、イケメン男子高校生たちと自由について

 中江です。2度目の投稿となります。よろしくお願いします。

 

 日曜日の江藤くんの投稿はアニメ映画『秒速5センチメートル』にまつわるお話でしたが、私も今回『Free!』というアニメを取り上げたいと思います。

 

 2013年と2014年に1期と2期がそれぞれ放送された京都アニメーションによるアニメ『Free!』は、現在後者を再編集したものが映画館で上映されていて、2017年現在もなお、根強いファンを抱える人気作品です。(ちなみに今年の夏には再編集された異なるヴァージョンの上映が始まり、その後、新作が公開されるそうです)

 

 このアニメを一言で紹介すると、主人公たちの通う岩鳶高校の水泳部と、その幼馴染の通うライバル的ポジションの鮫柄学園水泳部を舞台に、天才的な泳ぎを見せる男子高校生たちによって繰り広げられる青春の物語、といったところになるでしょうか。たしかに部活ものの御多分にもれず、この作品でも主人公たちは全国大会を目指し、圧倒的成長によって輝かしい結果を残します。しかし、このようなストーリーの紹介では作品のイメージはおおまかに伝えることはできるかもしれませんが、私が『Free!』に実際感じている魅力を伝えることができていないように感じてしまいます。青がとてもキレイ、心理イメージが具現化した描写が迫力がある、筋肉が丁寧に描かれている、キャラクター同士の関係性が好み、など、本当はたくさん好きなところがあるのですが、ひとまず別の角度からの説明が必要なように感じてしまいます。

 

 『Free!』の一つの特徴として、私はキャラクターたちが過去を大きく引きずっていることが挙げられると思っています。そもそも、この物語のメインキャラクターたちには具体的な共通点があります。それは、彼らが小学校時代に同じスイミングスクールに通って優秀な成績を収めながら、話の始まる時点ではみな一様に水泳をやめていたということです。小学校の時にメドレーリレーで優勝したにもかかわらず、仲の良かったチームが離れ離れになり、いつしかあれだけ好きだった競泳を彼らはやめていました。繰り返される回想シーンは彼らにとって小学校での仲間との思い出が、もはや失われてしまったけれども忘れられない大切なものであることを印象付けます。彼らは1期のクライマックスの大会本番の場面で、常識的にもスポーツ青春もののコードでも考えられない行動に出ますが、それは、小学生時代を、もう一度生きなおしている様子のように、私には思えました。また、キャラクターたちは、友人との決裂、留学先での挫折、中学受験とそれに伴う環境の変化、知人の水死など、それぞれにトラウマのようなものを抱えていることもシリーズ全編を通じて、強調されているようにも思いますし、スイミングスクールの子供たちやメインキャラクターの弟や妹が登場するシーンも印象的で、子供時代というものが意識されているように感じます。

 

 また、主人公は2期で大学のスカウトから激しい注目を浴びますが、このことによって、ただ泳ぐことが好きで社会と交わらない営みとして競泳をやっていた主人公は多大なストレスを抱えて、これもまた大会本番にとんでもない行動に出ます。彼は、クールな性格、というよりも、緘黙気味なのではないかと訝りたくなるような態度でいることが多いですが、それは自分以外の世界との距離を測りかねているように見え、具体的にはタイムや勝敗という外的な評価基準にあまり関心がもてません。そんな姿を周りのキャラクターたちは温かく見守り、幼馴染キャラクターの計らいによって、主人公は自分の生きていきたい世界をようやく見つけ、社会のなかで生きていくにあたっての、目標を見つけることができます。

 

 現在、たった一つの社会のなかで生きてはいても、自分だけの世界や過去の世界をも同時に生きていたり、それらの比重が大きくて、現在生きづらくなったりする。それでも、過去を生きなおしたり、生きていきたい世界を見つけることができたりする。その過程で社会通念から大きく外れてしまっても、自分にとって生きている場所からしか生き続けることはできず、それでも結果として未来へむかって生き続けることとなる。自分の言葉でまとめてしまうと、そのようなキャラクターたちの姿に、私は「自由」を感じ、いたく魅力を感じたのだと思います。

 

 最後に、蛇足となりますが、もう一つこの作品から「自由」を感じる表現を述べたいと思います。それは、女性と男性の(肉体に関しての)欲望関係の在り方です。水泳部のマネージャーは、主人公の幼馴染の妹が務めているのですが、ほとんどの話のなかで彼女が部員たちの筋肉美について興奮気味に語るシーンがあります。その一方で、顧問の女教師は元グラビアアイドルであったことが途中発覚するのですが、その以前も以後も、そういった性的消費につながる発言は徹底的に抑圧されています。これは、現在の日本においては一般的な、男性から女性への肉体的な欲望が当然視されながら、女性の欲望については抑圧しているという性的規範の逆と言えると思います。こうした現実の不自由の逆転も、フィクションの感じさせてくれる自由な気がしてなりません。

 

 お読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

中江