On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

私が文三だったわけ

 何かハンドルネームを用意しなければいけないのか。じゃあとりあえず五十嵐にします。よろしくどうぞ。

 

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 確かに、ブログやるならキャッチーに東大文三って名乗っちゃえ!みたいなことを私が言ったというのは間違いないが、こうして「文三ドイツ語クラス卒業生」という属性をアイデンティティとして背負うようなことになると、それはそれでずるいことをしているような気分で落ち着かない。全く他人の看板を借りているようだ。自分は間違いなく文科三類でしたけれど、文学や歴史にはまるでノータッチだし、哲学も心理も専門外です、と最初にお断りしておかなければならないだろうか。

 ただ、ひたすら考えて、熟慮して、考え尽くした上で少しでもぴったりくる言葉を選んで文章を書く、それがやりたい一心で今まであらゆることを選択してきたのだ。文三だったのも、今このブログにいるのも、もちろんそういうことである。

 

 考えないのは愚かなことだと思っていた。いや、今も多少は思っているけれど。それでも少し前までは、何事もよく考えて、熟慮して、考え尽くした上で少しでも後悔のない選択をすることがこの世で最も正しい在り方だと思っていた。そして、年を取って経験を積んで知っていることが増えれば、もっとマシなことを考えられるようになるものだと。

 今思えばこれだって一つの思考停止だ。何事もめちゃくちゃ悩んだ上で結論をひねり出すことが唯一の正解である、という価値観の盲信。実際にハタチを超えて分かったのは、年を取るということは世の中に知っていることが増えることなのではなく、知らないことがいかに多いかを知ることだ、ということだった。知っていることは10から20にはなったかもしれないが、そもそも知り得ることの分母が100だと思っていたのが大間違いで、せいぜい今分かるのはそれがもはやどれほど大きい数字なのかも分からないということだけだ。多少知っていることの分子が増えたところで、とても手の届くものではない。

 

 そういうことが、大学を卒業してようやく考えられるようになった段階なのだ。ところが残念なことに、やっと物事を考えられるようになったと思ったらそのときにはもう大学を卒業しなきゃいけなかったわけで……。やる気が行き場を失ったときに、このようなブログに参加させてもらえたのはラッキーだった。言うなれば、ずっと学生気分でいるために私はここに文章を書く。

 もっとも、「学生気分」などと学生と社会人を断絶させるような考え方は嫌いなので、文章を書こうと書くまいと私はずっと学生気分でいるつもりだといえばそういうことになるし、そもそも学生のときに学生気分というものになった覚えもないので、そんな気分自体初めから存在しないとも言える。とにかく、学生気分の社会人とか、文三ドイツ語出身者とか、そういったカテゴリーはとっかかりとしては重要かもしれないけれども、ただそれだけだ。主従関係は見間違わずにいたい。文三ドイツ語という人種の中に私がいるのではなくて、私の中に文三ドイツ語だったという要素がたまたまある、みたいな。

 

 最初はつまらない自己紹介みたいなことを言いたかっただけなので、話はこのへんにしておく。それにしても、どうもこれだけの文章なのにえらく難産で先が思いやられる。最初ってどうせこんなものだろうか?