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東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

「第三外国語」の楽しみ方

 ブログの説明にもある通り私は第二外国語にドイツ語を選んだわけなのだが、大学にいる間には最終的に15くらいの言語をやった。それなりの興味を持って積極的に学んだ言語もあれば、文字の読み方すらろくに覚えず終わったものもあるが、少なくともそのくらい、授業で習うことには習った。

 私はできるだけ多くの言語に触れることにこだわっていた。それには一応、目的のない好奇心以上の理由があって、私はできるだけ日本語を相対化して見たかったのだ。

 

 まあ要するに私は語学が好きだったので、一時期は第三外国語の授業を大量に履修していた。

 第三外国語、というのは半分くらい嘘だ。まず面倒なのは言語の数え方で、私は「15カ国語」を習ったわけではない。すなわち、アイヌ語や日本手話は「外国語」ではないからだ。日本語では言語を数えるのに「国」をはさむ単位でしか言えないということが、だんだんじれったく思えてくる。

 さて、私は語学のどこが好きなのかというと、文字の読み方や発音を学ぶときが一番楽しかった。日本語にない音(というか、だいたいの音は日本語にない)を聞いて真似して自分でも出せるようになるのが楽しかったから、これだけいろいろやってみる気になったとも言える。そういう意味で、中国語は相当楽しんでやったし、ポルトガル語はそこまで好みではなかった。

 一方、文法や語彙の習得は嫌いというわけではないが格別好きとも言えなかった。まあ「真似して自分も出せる」ようになるのが発音だけとは比べ物にならないほど複雑で難しいので、当たり前といえば当たり前だ。だから習った言語が多少なりとも実用レベルで身についているかというと、現実は簡単な読み書きもままならないものがほとんどということになる。

 まあ、それでもよかったのだ。最初から私は全ての言語を話せるようになりたくて語学の授業を取っていたわけではなかったのだから。いろいろちょっとずつかじって楽しければそれでよかったのだ。できるだけ多くの言語を広く浅くなんて贅沢、それこそ大学でやらなければいつやるのだ。

 

 実際のところ、当初の目的――日本語を相対化して見るということ――が達成できたかというと、これは語学の授業でどこまで実現できたかはびみょうなところである。現実には大学の教養で選べるような授業にはそうそう変わった言語もないわけで、せいぜいヨーロッパの人間がヨーロッパの言語を数カ国語話せるというのと、日本語母語話者がヨーロッパの言語を数カ国語話せるというのは、難易度が段違いの話である、ということが分かったくらいなのであった。とはいえ、それを知識としてだけではなく実践的に知ることができただけでも、手当たり次第に語学をやった価値はあった、と言っちゃいけないだろうか。

 

 ところで、そもそも入学前にドイツ語を選択しようと思った動機は何なのかというと、はっきり言って半分くらいは「サイボーグ009」を読んでドイツ人が好きだったからだ。ミーハーな動機が強烈にあったおかげで、二外の選択に関してはほとんど迷わなかった。結果的にクラスの雰囲気も良かったし、英語の次に学習する言語としてドイツ語はやりやすかったし、この選択は悪くなかったと思う。一時の熱に浮かされて深く考えずに選んだにもかかわらず後悔していないというか、だからこそ後悔していないというか、どちらなんだろうか。