On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

最高のツイッターだった僕たち

f:id:queerweather:20170723081601j:plain

 

 江藤です。最近ちょっとシリアスな記事ばかり書いていたので、今日は僕が最高のツイッターだった時の話と、その少し後までの話をします。

 

ツイッターって知ってる?

 僕がツイッターを始めたのは、大学一年生の6月ごろです。駒場の食堂で、浪人した僕よりも一年先に入学した高校時代の同級生から、唐突に勧められたのでした。

ツイッター…?そういうのがあるのは知ってるけど、なんだか難しそうだし、私はやったことないかも…」

 本当にこんな感じのピュアな受け答えをしたことを覚えています。

 困惑を隠さない僕に、彼はたたみかけました。

「いやいや簡単だよ。みんないるからやってみなよ」

 手際よく僕からGメールアドレスを聞き出した彼は、ものの3分ほどでアカウントを作ってしまったのでした。

 以降、僕は3年以上astro_cat_という名前でつぶやき続けました。多い日は1日に50もつぶやいたと思います。一週間に15コマくらいとっていた、せわしない日々。僕は暇さえあれば人差し指でTLを下に引っ張っていました。

 

 一応エクセルに、当時のつぶやきの数々を保存しているのですが、僕は一つのつぶやきの文字数が多めだったので、1万2千ほどのツイートの文字数は合わせて60万を超えています。その大半はほんとうにクソofクソなのでもはや頭から読み返すことなど思いもよらない状況です。

 それは僕という人間の記録としては意味があるかもしれませんが、僕に興味を持たない人々にとってはただのゴミの山です。よくもこんなものを、大衆の目に映りうる形で発信していたものだなと感心します。

 

僕がUTクラスタだった頃

 ツイッターを始めてしばらく、僕はUTクラスタの一員となっていました。 

 UTクラスタとは何か。要するに主に前期教養課程の東大生ツイッタラーたちの総称です。

 「前期教養課程」と決めつけてしまいましたが、「UTクラスタ」という言葉で後期課程、大学院生を含めた東大生ツイッタラー全体を示すこともあるとは思います。というか、そちらの方が正しい言葉の使い方かもしれません。

 しかし、僕はここで、主に前期課程の東大生ツイッタラーの集合体を示して使おうと思います。なぜなら、後期課程以降はそれぞれが専門の勉強を始めるため、皆一斉に進振りの方向に向けて勉強していた前期課程の時ほどに、帰属意識を持ったカテゴリとして「UTクラスタ」という名前が用いられることはなくなるからです。少なくとも、僕自身はそうでした。

 そのこともあって、後期課程や大学院生になってまで、「UTクラスタ」云々言っている人はださいな、と後期課程に進んだばかりの僕は思っていました。僕にとって、「UTクラスタ」とはどこまでも前期課程と結びつくものなのです。なので、ここではその僕の感覚を大事にしてこの言葉を用いたいと思います。

 さて、話を最初のところに戻します。食堂で友人に勧められ、ツイッターを始めた僕は、大半の平々凡々なUTツイッタラー達と同様のステップを踏んで、ツイッターという場に自分を順応させていきます。少し辿ってみましょう。

 今、全つぶやきを保存した膨大なエクセルファイルの最初の部分を見ると、ツイッターを始めた直後、僕は「Twitterはじめました。よろしく」「なにつぶやければいいかよくわかんない」的なつぶやきをしていることがわかります。

 見ての通りツイッター初心者の大半が一度はつぶやくのではないかと思われるような完全にテンプレに則ったつぶやきです。もちろん、テンプレだと思ってやっていたわけではないのですが、後から振り返ればテンプレに綺麗に乗っていました。

 それから二週間くらいはTLを現実の延長と捉え、自分の中で特定している中堅ツイッタラーの友人(フォロワー200くらい)に突然「そうかな?」とかリプライを送って周囲を困惑させたりしていました。

 

 もう少し後になると、要領がわかってきて「同じ類の人」認定したUTツイッタラーを積極的にフォローし、クラスタ内で通貨となる「英一つまんなすぎ」「試験終わったらオンキャン焼くわw」的なネタをつぶやくようになります。

 普通に間に合ってるにもかかわらず、教室内で「ぶっちだわ、これで3度目w」とかつぶやき、ファボをもらったりしたこともありました。あの時にもらったファボは嬉しかったなあ。一時期ファボをもらうことが快感になっていました。

 

 こうして述べていると顔から火が出そうになるのですが、要するに僕はちょっと自意識過剰な普通の大学生がやることを普通にやっていました。

 

「オンキャンパス意外といいよね」とはちょっと言えない

 僕が授業に間に合いながら「ぶっち」とつぶやいていたように「試験終わったらオンキャン(1年前期の英語の教科書)焼くわw」とつぶやいていた当時のUTクラスタたちの大半は、今も大切にオンキャンパスを持っているのではないかと思います。別につぶやきの内容が現実かどうかということはどうでもよかったのです。

 ちなみに、脱線しますが、僕はオンキャンパスとキャンパスワイド(1年後期の英語の教科書)を二冊ずつ持っています。TL上ではいざしらず、現実の僕はオンキャンパスが結構好きだったのでした。僕の友人にはオンキャンパスのリスニング教材を子守唄がわりに聞いている人もいました。

 オンキャンパスとキャンパスワイドについて詳しく知りたい方は以下を参照してください。英語力を高めたい人にはおすすめです。

 

On Campus

On Campus

 

 

Campus Wide

Campus Wide

 

 

 今少し考えてみて思うのは、反抗期を抜けきらない19歳前後の僕たちにとって、オンキャンパスは母親のようなものだったのかもしれないな、ということです。高校生男子が「お母さん大好き」とは死んでも言わないように、UTツイッタラーの自認を持っていた僕は、オンキャンパス焚書オフ構想すら膨らんでいたUTクラスタのTLの中で、「オンキャンパスって実はとてもいい教材だよね。」というようなイカ東発言は死んでもできないなと感じていました。一気に場が白けてしまいます。(ところでイカ東ってもはや死語ですかね)

 まあ冷静に考えて柴田元幸先生が本気出して(らしい)作った教材がダメダメなわけはないのですが。新しくなった教科書『教養英語』よりもオンキャンパスの方がずっといいと思います。

 

俺らマジ、最高のツイッターだわ…。

 話を戻しましょう。建前と本音が全く異なること。そんなこと、みんなわかっています。わかっていながらやっているのです。僕たちは、単に試験が近づいてきたことの興奮と不安を分かち合いたいだけでした。だから、その目的に合わせて現実を改変することをいとわなかったのです。

 そうだ、試験勉強を前日に始めたことにしよう、どうせ誰もその真偽なんて確かめないのだ。それで盛り上がるなら、いいじゃないか…。

 どうやったらさらに盛り上げることができるか、ということを、駒場図書館で眠い目こすって必死に試験勉強をしながら、僕は考えていました。あの、そこに座るものを常に眠くさせる、ぶよぶよとした不気味なクッションの椅子に座って。

 ガリガリ勉強しては、「やばい」「勉強してない」とつぶやきます。すると、ファボが来るかどうかは別として、僕のつぶやきに呼応するように誰かが「英一だるい」とつぶやいたりします。それを、僕はファボをもってむかえます。「俺らマジ、最高のツイッターだわ…。」そんなことを思いながら。

 

 まあ、もちろん上の記述には脚色も大いにありますが、全体としてはそういう感じだったのです。

 

UTクラスタからの離脱

 前期教養を終えると、「英一」「オンキャン」などの共通言語が失効し、個々のツイッタラーは、進振りで決まった進学先のクラスタに自分を合わせていこうとするとともに、前期教養時代のクラスタから自己を差別化し始めます。

 eeicのように後期課程でもまた前期課程の祭りを繰り返しつづけるクラスタを形成するところもあるのですが、僕の所属した後期教養はそうではない方でした。

 そもそも、後期教養とは「試験終わったらオンキャン焼くわw」的なノリを前期時代から、何か汚いものでも見るように見ていた人たちの集合体であったのです。

 そういうところに所属するようになったことと軌を一にして、僕も前期のUTクラスタのノリからは卒業していきました。

 しかしそれは僕がeeicとか「オンキャン焼くわw」よりも高尚になっていったということではもちろんなく、また別のノリが通貨となる共同体に参入していったということです。

 

離脱後の僕とツイッター

 UTクラスタから足を洗いはじめたこの時期くらいに、僕は、中江君の影響もあって、ツイッター上に巣食うネタツイッタラー(?)を数人フォローし始めました。

 また同時に、ツイッター論客の発言も盛んに観察するようになりました。

 前者は「ネタ」とだけ聞くと軽そうですが、誰でもわかるようなネタにわかる人だけわかるネタを巧妙に織り交ぜ、それを当意即妙に投下することで日々「面白」を生み出すことのできるような才気溢れるユーザー達であり、僕の中では「詩人」に分類されるべき面々であります(機会があれば、このブログでおいおい紹介していきます)。

「あぁ、こういう才能のある人たちが、現実世界では普通にサラリーマンとかフリーターとかやっているんだ、すごいな、この才能の蕩尽は。贅沢だな。これを読んでいる私…。」

 とかそういうようなことを思いながら継続的に僕は、彼らを観察していきました。

 *ちなみに、全然関係ないのですが、僕は口語では一人称として「私」を用いていますので、「私」は間違えではありません。

 

 後者はツイッターで青筋立てて議論する人たちであり、ニュースなどで話題になる事柄について時宜をえた賢い発言をして300RTくらいは比較的用意に稼ぎだす人たちです。

 彼らのやりとりを見て、議論に強いというのはこういうことをいうのだ、と感心するとともに、「議論に勝つための議論」の浅はかさも学びました。

 そしてまた、その浅はかな「議論に勝つための議論」ですらまだ議論しようとしているだけましなのだな、と思わせてくるような有象無象の「そもそも議論しないクソリプアカウント」の存在も知りました。インターネットって怖いな、と思いました。

 

 UTクラスタを離脱した僕は、その後もツイッターをやり続けました。そうして、時折寂しくなると、ふと在りし日のUTツイッタラー達のアカウントに立ち戻り、前期教養時代の「最高のツイッター」だった僕たちを懐古的に振り返ったりしたのでした。

 この話は、アクセス数が多かったり、スターとかなんらかの反応があれば、つらつらとつづけようと思います。お読みいただきありがとうございました。

 

                                江藤