On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

日本の伝統的な世界観と名高いハレとケの精神

 

古来より、日本人は日々暮らしている日常と、冠婚葬祭や年中行事といった非日常を分けて生活してきていて、そして、それを「ハレ」と「ケ」というふうにいいます、的な文章はけっこうよく見る。

 

実際「ハレとケ」という言葉は、誰かと喋ったりしても、不自然なくらい案外耳にする機会もある言葉なような気がしませんか、と思う。というのも会話の中で「ハレとケって言いたいだけなのでは」というシーンも人生のなかで何度かあったし、自分も一時期好んで強引に使っていたような気がしないでもないし、なんとなく口に出すと楽しいような、みたいな感じな言葉な気がするかもしれない。

 

例えば、分裂症的な思考にたって考えたら、言葉のシステムに参入できるプロデューサーによって推されてるとしか思えません。(運営のお気に入り)

 

思い出してみると小さな頃から、地域のお祭りとかに行っても、日常から解放されていると思うわけではなかったし、むしろ好きな漫画の発売日(そのあと友達とその話でおおいに盛り上がったりする)の方がそんな感じだったから、その感覚がわからないだけだとは思う。祭りやイベントは、外から決められてもともと絶対的にあるから誰かと共同することが前提になるものではなく、感覚とか趣味とか気持ちで勝手に選んでみたら結果的に誰かと共同しているというものと、自分にとってはいえそう。

 

(あくまで漫画の例でしたが、好きなアーティストのコンサート、足繁く通っているお店でのイベント、◯◯◯◯生誕祭などでも、同じだと思う)

 

ソーシャルゲームのイベント開催期間が気づいたら終わってて、ショック‼︎といった感じで日々を生きたりしていると、ハレとケは、ヤバいこれ神イベントきてるわ、とか、また月曜から社畜生活だ……という話なのかな、と思う。

 

 

中江