On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

大急ぎロシア観光 その2:バレエ鑑賞

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 当たり前だが、モスクワ市内はどこを見渡してもキリル文字だらけだ。一応ロシア語は初級の教科書を丸一冊習ったので文字は読めるし、出発前に語彙も叩き込んできたつもりだった。とはいえ、そんな付け焼き刃でいきなり読んだり話したりができるようになるはずもなく、移動中の車窓から全てのものを物珍しく眺めながら、目についた看板を一文字ずつ拾ってなんとか解読しようとするのが私にできる精一杯だった。

 

 この晩の行き先はモスクワ音楽劇場。ここで日本語ガイドと別れ、バレエを観る。ロシアといえば舞台芸術、というのもこの旅行の一つの目的なのだ。

 バレエには言語は関係ない。音楽と、体の動きだけ。その動きというのが圧巻なんだ。肉体美! 観ている最中、隣のおばさんが特定の男性ダンサーが出てきたときだけとりわけ熱心に拍手を送っているのに気づいて、彼のファンなのだろうか、でもハマる気持ち分かるなあ……とちょっと思ってしまった。だって見とれてしまうもの、人間の体ってこんな動きもできるんだなあーって。そしてそれがただ体の動きであるというだけではなく、クラシックバレエの形の中で、キャラクターの性格や心情を生き生きと伝えるわけ。

 ……バレエを見ているときの気持ちって、特撮ヒーローを見るときの感じとちょっと近いものがあるとか思ってしまった。着ぐるみや仮面の下で役者の表情は見えず、キャラクターは体の動きや仕草だけで感情の機微を表現する。そして鍛え上げられた体から飛び出す超人的なアクション。こんなの、楽しくないわけないじゃん! こういうのって普遍的に人の心に訴える芸術なんだわ、多分。

 

 最後の幕が下りて拍手が止んだ瞬間、余韻を味わうなどというノンビリした習慣はないとでも言わんばかりに、皆一斉に席を立ちあっという間に玄関へ詰めかける。ここでちょっとトラブルがあった。クロークに預けたはずのマフラーが戻ってこないのだ。何しろものすごい混雑、ゆっくり対応してもらう余裕などない。ちょっと探して見つからなければそれきり完全に放置され、私は焦って言葉が出なくなってしまった。マフラーってロシア語でなんていうんだっけ? オロオロしている間にもどんどん人が流れていく。取り残されて途方に暮れたとき、天使が現れた。

”May I help you?”

自分と同年代かもっと若いくらいの女性だったが、英語で話しかけてくれた人の存在の心強さといったら。単に目の前の相手に言葉が伝わらないということより、周りの人が自然に意思疎通できているのに自分はできていない、その場から切り離されているような所在なさがいかに不安なものか思い知りましたよ。

 振り返って思えば、サンクトペテルブルクではともかく、モスクワで英語を聞いたのはあのとき一回きりだったんじゃないだろうか。とにかく初日は本当にロシア語も何も言葉が出てこなくて、あまりの不甲斐なさにやっぱり一人で海外なんか来るんじゃなかった…と後悔すらしそうになっていたので、彼女のおかげでかなり救われたところがある。いい人はいるし、なんとかなるのだ。

 結局マフラーは最後の最後に人の波が空いてきたところで床に落ちているのが見つかり、無事に手元に帰ってきたのであった。慣れない海外1日目はさすがに疲れた。その日はホテルに着くと、晩飯も食べずに眠りこける。次回につづく。