On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

生徒に影響力を及ぼしたい、という欲望

 江藤である。

 

 今日は、顧問をしている部活動の練習試合があったので、1日学校にいた。たるいなと、思ったし、休日を謳歌したいなとも思ったのだが、引き受けた以上仕方がない。ちなみに、最近よく話題になっているように、部活動のための休日勤務に対する手当はわずかだ。全く割りに合わない。こんなことで休日が潰れるのか、と思うと怒りを覚えそうになるタイミングもある。

 

 しかし断っておかなければならないが、部活の顧問になることに関して、実は僕はやぶさかではなかった。

 

 部活動の顧問を教員たちがほぼ無給でやっていることが社会問題化し始めたここ二、三年の流れを受け、当然に僕も、そのような労働形態が不当であるということは声を大にして言いたい。

 ただ、それはそれとして、僕自身の中には手当の有無に関わらず、部活動に関わりたいという気持ちが確かにあったのである。そして自分で、それは大変に不純な動機であるとわかっていた。

 

 なぜ部活に積極的に関わりたいのか?一番は、「生徒の成長を目の前で見守りたいからである」。ほとんどクリシェと化しているこの文言は、おそらく(若干の悪意を込めて)言い換えるなら、このようになる。つまり、僕は可塑的で素直で自我が未発達な子供達に自分の影響力を及ぼしたいのだ。そのようにして、人に対する影響力の高まりにより、僕は喜びを感じるたちなのである。

 こう書くと、自分が、権力欲の極端に強いいびつな人格の人間のように思われてくるのだが、それが偽らざるところだから仕方がない。

 というか、教員は、多かれ少なかれ、自分の工夫、自分の経験をもとに生徒に影響力を及ぼしたいと思っている人種だと思う。

 

 ここで、自分が生徒だった時の頃を思いおこそう。積極的に関わろうとしてくる教員には禄なのがいなかった。当たり前だ。教員を初めてほとほと実感するのだが、身体的・精神的な観点から言えば、生徒はほっといても育つのである。

 僕たち教員の役割として最も重要なのは、彼らが社会に出たときに必要とされる技術を身につけさせることだ。ことこれに関して、生徒が勝手に身につけることはあまりない。学校の授業やテスト、そして入学試験等で漢字の書き取りを扱わなければ、ほぼ全ての人が漢字を満足に書けずに社会に出ることになるだろう。

 国語の教師としての僕の1番の役割は、目の前にある文章を書かれてある通りに読む力を身につけさせることである。次に、それを批判的に読ませることがくる。

 

 僕の役割は、生徒たちの人生におけるパトロンになることでは全くない。

 

 当たり前のことを言っているように聞こえるだろうか。少なくとも僕にはそう聞こえる。

 しかし学校現場で働き始めて驚かされるのは、生徒に慕われたい、彼らと精神的紐帯を結びたいと、陰に陽に思っているであろう教師が案外多いことだ。先に述べたように、僕もそう思っている。そういう動機から、部活でもやるか、と思ったのだ。

 というか、無給なのに部活の顧問がやりたいと積極的に思うなんて、それは生徒と関わりたいからに決まっているじゃないか。

 

 ということで思うのだが、部活のための手当がほとんど出ない現状における被害者は、何も教員だけでなく、自分の実存を満たすために顧問になる教員と接しなければいけない生徒全般だと思う。

 「無給なのにやってやってるんだぞ。君たちの未来のために!(感謝しろよな)」というような態度で接してくる恩着せがましく尊大な私のような教員が顧問になるのは本当はよろしくない。なぜなら教員を調子に乗らせるからだ。そんな人間に顧問になられても、のびのびと部活動ができるわけはない。

 早く十分な手当が出るようになって欲しい。もしくは、顧問を別に雇うようになってほしい。