雨の日の投票所へ行ってきます
数日前から小説が全く読めなくなってしまっているのだけど、なぜかといえば、実社会での話題に感心が向いているからだ。選挙が気になっているのである。正確にいえば、選挙自体の結果というよりは、選挙に際して噴出する様々な議論が気になっているのだ。それで1日の随分長い時間をツイッターに費やしてしまっている。
問題は、そういったツイッターへの滞留が特に面白くないことだ。
投票に行くべきだ派と別に棄権してもよいのだ派の議論など、よくもこんな話題でいつまでもペチャクチャできるなと逆に感心してしまう。「自分の未来を白紙委任しないために、投票に行くべきだ」という議論が僕はあまり好きになれない。お前の政治的スタンスを決定せよ、と迫られているような気分になるからだ。
当たり前だが、政治的スタンスなどそうクリアカットに決められるものではない。今回立憲民主党に入れたから、今後も立憲民主党を支持するとは限らないし、立憲民主党の全ての政策を支持していることにはならない。自民党の場合も同様だ。しかし、投票は党の名前や、党の名前を背負った個人に対して行われなければならない。僕は投票した瞬間に自分を**党の支持者として自己を位置付けざるを得ない。以降自分の投票した政党を批判する言説を見ると後ろめたくなる。
投票先の政党とそこに投票した自己を同じ側としてくくるのはいかにも浅薄な見方のように感じられるかもしれないが、自分の一票に責任をもつとはそのようなことと無縁ではないと思う。
また、投票にいくべきだ論が好きになれないもう一つの理由として、そう呼びかける人間の大部分が民主主義の活性化を意図して言っているわけではないと考えられる点が挙げられる。これまで棄権してきた層が投票に行くようになった結果として、自分の支持しない政党の得票数が大幅に増えることが予想されるとしたら投票を呼びかけたりはしないだろうと推測されるからだ。
従ってややうんざりとしながら、しかしそれでも気になってしまうので選挙TLをさかんに人差し指で引っ張っては更新している。これから私は投票に行くのだが、この雨の中、なんだかしんどいなと思う。