On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

愚痴はダメ?

 先日適当な記事を書いてしまってから、なんで愚痴っぽくなることがダメなんだ?と自分で自分にツッコミを入れる羽目になった。愚痴っぽくなるのは良くないと私が思った理由は簡単で、そういうことはあまり人に聞かせるべきことではない……ということになっている、と思ったから。愚痴を言っても良いことはない、聞かされる方も嫌なものだ、みたいな通念が頭にあったからそう書いてしまったのだと思う。

 

 実際のところ、私はけっこう他人の愚痴を聞くのが好きだ。愚痴というか、他人の怒りとか悩みとか、そういうマイナスの心情を傾聴することが嫌だとは思わない。

 もちろん、怒りを直接ぶつけられたい、という意味ではない。そうじゃなくて、例えば激しく怒っていたりどうしようもなく落ち込んでいたりするとき、どうしてそう感じたのか、何に対してそう思ったのか、そういう感情の在り方について聞かされるのが、好きだというとちょっと語弊があるかもしれないが、こう言っていいならとても勉強になる。怒るってかなり強烈な感情だし、どうしてこの人はそこに怒りを感じているんだろう、と探ることは、その人のことをよく知りたいと思ったら通らずに済む道ではないと思う。そういう意味で、愚痴を聞くのが好きというか、人が怒っていることについて聞いて考えるのが好きだと感じるのは、そんなに珍しいことではないのではないか。

 問題なのは愚痴ったり怒ったりすることそのものではなくて、それをどこに向けてどう表明するか、というところにあるということを区別しなければいけない。 

 

 ちょっと話は飛ぶけれど、最近何か炎上案件があったときなど、怒りを表明した人に対してモンスタークレーマーだwというようにケチをつけてくる外野を見てはうんざりしている。そんなことに文句つけてんの?と言って、怒っている人を戯画化するようなノリ。反論するわけでもないのにわざわざ他人の怒りを矮小化して封殺してくる態度がイヤ。

 だいたいそういうのって、冷笑的な態度を取れたもん勝ち、みたいな姿勢と表裏一体でやってくる。愚痴っぽくなるのがいけない、という考えもそこに通じていると思う。冷笑的な態度を取れたら勝ち、怒った方が負け、文句は言うやつが悪い、だから愚痴を言ってはいけない、大人しくイエスマンでいるのが正しい在り方なのだ、というように。

 

 悪いのは怒りに任せて他人を攻撃することなのであって、怒っているという感情を理性的に表明することは十分に可能だし、それは非難されるいわれのないことだ。現に私は人が怒っている話を聞くのが好きだし、それを聞いて共感できたり、人の振り見て我が振り直せと反省できたりすることもあるのだから、あながち単なる覗き趣味というわけでもない。

 別に、たくさん怒ろう!というわけではないが、愚痴っぽくなるのが良くないと過剰に抑制してしまうこともない。もっとふつーに、嫌だと思ったら愚痴る、でいいんだよな……。まあ、たまには好きなものについて書きたいという気持ちはそれはそれで本当なのだけれど……