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東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

親に反抗する子供達の様が安易かも… 映画ITを観た感想

 昨日友人に誘われて映画ITを観た。前半は映し方、テンポともに本当によく、ハリウッド映画のソフィスティケーションはすごいなとただただ感心していた。ここ最近Jホラーばかり観ていたこともこの感想に影響している。

 しかし、表題にあげた通り、後半の、特に親に反抗する子供達の描写は鼻白むものであり、残念に感じた。以下、簡単に感想を書こうと思う。

 なお、表題でマイナスイメージの感想をあげてはいるが、全体としてよくできており、観る価値は十分にあったことを強調しておきたい。

 

 

ITってどんな映画?

 映画ITについて知りたい方はまずは以下のリンクから予告編をご覧ください。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

 予告編で興味を持った人はwikipediaの概要をどうぞ。簡単にまとまっています。

 

IT (映画) - Wikipedia 

 

 映画のあらすじをごく簡単にまとめるなら、連続失踪事件が起こる街で、その原因となっているピエロ、ペニーワイズと子供達が戦うというもの。あまりにも要約しすぎているのでこれだけ聞くととてもつまらなさそうに感じるだろう。

 観る前の私自身もリンク先のウィキペディアのあらすじを読んで、なんだかつまんなそうだなと思っていたのだが、観初めて、とにかくその鮮烈なイメージの連続に心を掴まれてしまった

 

 

子供達のトラウマのイメージ化

 ペニーワイズはどうやら子供達個々の抱えている恐怖の心象イメージに自在に形を変えることができるらしい。恐怖のイメージは子供達が成長するにつれて自分の中に形作る世界の見方や、その過程において受け取るトラウマと連関しているため、並行して子供達それぞれの、主に家庭・家族の問題が語られる。

 

 例えばヒロインの女の子は父親から性的虐待を受けていることが示唆されており、また、第二次性徴の起きる体に対して不安を覚えている。

 そんな彼女のもとにペニーワイズからもたらされる恐怖体験は排水溝から吹き上がる血に勢い良く晒されるというもの。血は経血や処女喪失のメタファーであり、その血をかぶることは性徴による子供時代=性以前の身体の侵食、及び父による支配に対する屈従を示しているのかなと思った。もちろんこの辺はどう読もうが自由。

 

 

鮮烈な恐怖のイメージが秀逸 

 とにかく、それぞれの子供が有する恐怖の表象の書き方が秀逸である。それらはただ単に「驚かしてくる」、「痛そうな感じがする」、というだけでなく、こちらの胸にノータイムで何らかの揺さぶりをかける「鮮烈な怖さ」を喚起してくるのだ。

 

 この鮮烈さは、人が何かを恐怖するとき、一体何に恐怖しているのかということの核心を特定し、それをうまく膨らましていく監督の能力によるものだろう。これに関しては、掛け値無しに賞賛にあたいする。

 

 例えば邪悪なピエロ、ペニーワイズはそれ自体のルックスとしては正直大して怖くない。

    別にデザインが悪いと言っているのではない。これはこれで洗練されているのだが、私はそもそも明視できる存在は怖くないと思っているので、ペニーワイズに限らず、大部分のホラー映画で、観客に細部が見えてしまうような形で出現する霊的存在は、全般的にあまり怖くないと感じてしまう。

 しかし、映画中の数カ所で、ペニーワイズはなかなかに怖い。動きが怖いのである。このピエロ、本当に様々な動きをする。中でも、終盤のゲームで言えばボス戦にあたる場面、炎の中から少女を襲うべく現れたペニーワイズの顔面は固定されており、身体だけが活発に動く場面は、印象に残る。外見上は生きた人間のように見える存在が、本当はそうではないのかもしれない、という不安を煽られる故の怖さである。私たちと同様の身体を持ち、ということは同様の運動の限界を持っているはずの存在が、その矩をはるかに超えるような運動性を発揮するのも、怖い。

 

 と、ここまでは褒めてきたのだが、以下では残念だった点に関して述べる。

 

 

恐怖を乗り越えることによる、ペニーワイズへの対抗

 それぞれの子供達がそれぞれに有する恐怖イメージを、ピエロであるペニーワイズ(=IT=「それ」は霊でも悪魔でもなさそうだが、超人間的存在というのもあんまり当てはまらないような…。こういう存在を名指す名前を、アメリカ文化に詳しい人は教えてください)が具現化すると聞けば、「ペニーワイズに対抗するには、個々の子供達が自分の中にある恐怖心を乗り越えればいいのだ!」という展開になっていきそうだと、聡明な読者はすぐに気づくかもしれない。

 その通りである。ということで、映画後半は子供達がそれぞれのトラウマや、それぞれの閉じ込められた小さな世界を乗り越えたりする場面が散見される。 

 

 そして上に述べたように、彼ら子供達の世界を規定しているのは両親という絶対的権力者である。彼らは親達の、しばしば歪みまくっている支配から逃れていく…のだが、あまりにも簡単にそれらを乗り越えていくので、冒頭に書いたように鼻白んでしまった

 

 

随分簡単に、親の支配から脱していく子供達

 例えば先ほど紹介した父親の支配を受ける女の子は、後半のあるシーンで、父に性的関係を匂わせるような「お前は俺のものだろう」的な台詞を投げかけられるのだが、意を決したようにそれを大声で拒絶し、迫ってくる父に金蹴りを食らわせ、バスルームで殴り倒すことになる(あれ、死んだのかなあ)。

 

 もちろんこれ自体は随分激しくはあるものの、ありえなくはない、と思ったりもするのだが、父を恐れ、父に話しかけられるたびに緊張した表情を浮かべていた女の子がこのように勇ましくなるまでの間の彼女の中の変化がほとんど全く描かれていないため、面食らってしまう。

 まあ、私の観ていないところで随分と大きな変化をくぐり抜け、葛藤の末ついに父と暴力的な対決をするまでにも勇ましくなった、ということなのだろうが、観客としてはそのあまりの変化に戸惑わずにはいられない。つまり展開が性急なのである。

 

 同様に、過保護すぎる母の「あなたのため」的なセリフにより健全な少年が享受すべき自由を奪われてきた少年は、その母が、少年を保護する口実としてきた彼の病気(?)の治療のための薬がプラシーボ=偽薬であることをドラッグストアの女の子に告げられたことで、母に対する不信感を募らせ、反旗を翻すのだが、これもなんかあまりにも性急。

 まあ私の観ていないところで彼もさっきの女の子同様さまざまな葛藤をくぐり抜け、ついに自分に対する母の保護が、自分の体のためを思ってのものでは本当にはなく、自分という存在を母の保護下に置くこと自体のためにおこなわれていたのだということに気づき、歪んだ母の愛情を自覚するにいたったのだろうが(お母さんは家を出て行く彼に「私を見捨てないで」的な言葉を投げかける)、全然その辺りのことが描かれていないため、なんだか少ないヒントでいともやすやすと親の支配を乗り越えていくように見えてしまう。

 

 子供達の世界における問題、特に親との関係の歪みをもとにして子供達が受ける影響というのはもっと隠微に、長期間続く、脱出の困難なものだと思うので、もう少し丁寧に扱って欲しかったなと思う。時間的制約があるのでなかなか難しいということはもちろんわかるし、色々大変なのだろうけども。。。

 

 

とはいえ、とても面白かった

 とはいえ、冒頭に述べたように全体としては良くできているし、観る価値は十分にあった。続編が作られるらしいが、観にいくと思う。鮮烈なイメージの世界の中で、恐怖を感じたい、という人は是非観てください。