On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

照射(ショウシャ)

昨日、生活で起こったことを書いてみて、現在、また書きたいという気持ちが生まれている。
これまで他者を意識する際の緊張が、公開するつもりで文章を書く際にも、走り、沈黙は金として抑圧してきたものが限りなくあったはずだし、任意の出来事を書くにあたって、必然性にかんして疑問符がつくのも仕方ないと、自分自身に対して思うところもある。
沈黙を守ることは、価値判断は別にして身の処し方の一つであり、極論を言えば、生物としての生存戦略であるかもしれない。
結果的にそれは生活において、自分を混沌に任せて流していくことにつながる。
溺れる夢のなかで諦めることを繰り返すようなものだと思う。そのようにしか生きれないということは、いくらでもあるけれど。

 

こう書いてみて、昔に読んだ文章を思い出していることに気がついた。

「このあとに展開するのは一篇の小説である––というか僕を主人公にした瑣末な出来事の連続である。こんなふうに自伝的なものを書くということが唯一無二の選択というわけではない。とはいえ僕にはこれしかない。もし目にしたものを書かなくても、やはり苦しいだろう––そしておそらくは、その方が少しだけきついだろう。「少しだけ」という点を強調しておく。書くことはほとんど慰めにならない。それは物事を再び描きなおし、範囲を限定する。ごくわずかな一貫性を生む。一種のリアリズムを生む。ひどい靄のなかでまごついていることに変わりはない。いくつかの指標があるにはあるという状態だ。混沌まであと数メートル。実にぱっとしない。
読書の持つ絶対的、脅威的な力と、なんという違いだろう!一生読書して過ごせたら、どんなに幸せかと思う。僕は七つの時分にはすでに読書の力を知っていた。この世界の仕組みは痛々しく、生きづらい。僕にはそれが修正可能とは思えない。実際、僕には一生読書して過ごす方が向いていると思う。
そんな人生は、僕には与えられなかった。」

これは、ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』のなかの一節だ。

何故、書くのかということについて、こうした趣旨の回答をする作家は他にもたくさんいることと思う。

 

ただ他にも思い出されるものはある。今読んでいるポール・オースターの『記憶の書』には、「いかなる言葉もまず見られることなしには書かれえない。ページにたどり着く前に、それはまず身体の一部になっていなければならない。心臓や胃や脳を抱えて生きてきたのと同じように、まずはそれを物理的存在として抱えて生きなくてはならないのだ。だとすれば記憶というのも、我々のなかに包含された過去というより、むしろ現在における我々の生の証しになってくる。人間がおのれの環境のなかに真に現前しようと思うなら、自分のことではなく、自分が見ているもののことを考えねばならない。そこに存在するためには、自分を忘れなくてはならないのだ。そしてまさにその忘却から、記憶の力が湧き上がる。それは何ひとつ失われぬよう自分の生を生きる道なのだ。」とあった。

 

記憶として存在する過去の現在性は過去そのものではなくても、過去の名残に触れることができるし、私は先ほどあった脱毛クリニックでの出来事を思い出している。率直に言って、出来事らしい出来事はなかったけれど、今回の担当者の人によって、以前の看護師の人たちより、なんとなく落ち着いて施術を受けられた気がしたというくらいだった。夏ごろに、歯医者で治療を受ける直前に気分が悪くなって脱水と目眩がして、休ませてもらってしばらく後帰宅、ということがあったから、私にとってそれは重要なことではあるのだろう。けれどせいぜい落ち着いて受けられたというくらいで、出来事らしい出来事はありませんでした。きっと看護師なら技能給というものがついているだろうけど、レーザーの機械を使うのに例えば採血ほどの技術の差が生まれるようには思えない。いつも通り照射はそれなりに痛みを伴った。でも、凄く良かった気がした。冷却も済み、最後にせめてありがとうございました、としっかり言おうと思ったが、普段渡される敏感になっている肌を守る用のマスクが今日は渡されず、もしかしたら遅刻したからかな、とありえそうもない理由を考えたりしているうちに言うタイミングを逃してしまった。
これまでの私はこうした単に現在性だけで重要に感じられる過去をとどめようとはしなかった気がする。しかし、一定のルールに従ってした準備をして形をつくっておけばある程度勝手にあったまったりあるいは冷えたりして固まるプリンのようなものだと思いたいし、プリンの味はプリンを食べてみるまでわからないとどこかで読んだ記憶があることは、確かなように思う。