On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

あの頃に戻りたくない

 ハタチを過ぎたあたりから年を取るのが嫌になった。などと思ったりはしていながら、昔に帰りたいとか子供に戻りたいとは、想像していたほど、というか全然、思わないんですね。

 こういうことを実感するために私はたくさん言葉を書き散らしてきたのだ。過去に自分が書いた文章を読んでいると、あんなに何も知らなくて何も考えられなかったころの自分が今よりも良かったなんて絶対に思えない。だからあの頃に戻りたくない。

 日記らしきものは小学6年のときからほぼ途切れずに書き続けてきた。ネット上でも何かしら意見を書き付ける場所を設けて5年くらいになる。ちゃんと人に読ませるために格好付けて書いた作文もずいぶんあるはずだ。で、たまに読み直してみると、これがもうとても読めたものじゃない。さすがに昨日の自分はそこまで客観的には見直せないとして、1年くらい前の文章になるとほとんど他人事みたいで、まあまあ良いことも言ってるなーなどと思うこともあるのだが、3年くらい前になるともうダメだ。恥ずかしい。ごくたまに10年前の自分の文章に感心できることもあるが、ほとんどは恥ずかしいだけだ。

 

 このへんになると、もう今の私との同一性がどれだけ保たれているのか自信が持てない。書いたのは明らかに自分なのだ。忘れたわけじゃない。でも思考があまりにも違う。

 例えば自分が中学生のときの記憶ははっきりある。あんなことを考えたなあ、という経験も自分のものとして覚えている。それなのに、そのとき考えた内容を見直すと、その経験を記憶している今の私の頭と、同じ私の頭で考えたこととはまるで思えないのだ。感じ方が違いすぎる。

 そのときどきで書いているときは真剣だったし、全力で言葉を選んでいたはずなんだ。それを覚えているからこそ、その内容のしょうもなさに今見ると驚いてしまう。間違いなく私が考えたことなんだけど、こんなこと私は考えないんだよ。ほとんど他人の思考みたいで、そうなると、過去の自分ってどこまでが本当に自分なんだ?

 

 ここでも何回か書いたけれど、この10年くらいで随分知っていることが増えた、というより、知らないということを知っていることが増えた。でも、それは単純に頭が持ってる経験の量が増えたっていう話じゃなくて、そこからはじき出される思考という結果の方もこんなに変わるってことだったんだなあと、最近気付いたところだ。過去の自分が「自分」じゃなくなるという感覚に最近初めて遭遇して混乱している。

 今が一番マシだ。今やってることが一番マシかどうかはまた別問題だが、少なくともものを考えられるかどうかということに関しては、今までの中では今が一番マシ。で、今後もどんどんマシな自分を更新していく予定だから、少なくとも後ろに戻りたくはない。となると今書いている文章も、何年かしたらもうとても読めたものじゃなくなるんだろうけれども、それでも一応、そのときどきで何かを真剣に書いておくことが重要だと思うので、今はここにぶっちゃけておくことにしました。