On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

こじつける理由が欲しいだけ

要らない遠慮をして楽しみを楽しめなくなるのは嫌だから、日付にはあまり特別な意味を持たせたくない。ただ日付が同じだからというだけで何の生産性もない感傷に浸ることは一番しょうがないことだと思うのだけれど、それでも、私はいまだに何かにつけてこの日を思い出しては悲しくなってしまうし、そのことについて書くなら今日だろうなと思ったので書く。

 

私の身の回りに限って言えば、具体的な被害は何もなかった。ちょっと停電になって、しばらく交通が止まって不便をした、その程度。家具一つ倒れもしていない。

そのときのことは日記にずいぶん詳しく書いてある。書いて以来ほとんど読み返すこともしなかったけれど、読めば一文一文嫌になるほど思い出せる。何しろ日記を書くくらいしかできることがなかったのだ。どこにも行けなかったし手も足も出なかった。できれば書きたくなかったのもよく覚えているけれど、黙っていたら本当に他にやることが何もなかったから、今この気持ちを記録しなくてなんのための日記かと思って、書きたくないけど書いた。

 

その年その日はいい日になるはずだったんだ。数年に一度レベルの楽しみに浸れるはずで、そのつもりでずうっと待ってた日だったのに、その楽しみは、突然起こったことの重大さの前に、そのくらいつぶれても仕方ないというようなちっぽけなことになってしまった。 

 

言うなれば「もっとつらい人はいっぱいいる」それがどうしようもなくよく分かるから二重につらい。自分が特別悲しい目に遭ったというわけじゃないし、でも私にとってはずっと心待ちにしていた喜びを目の前で取り上げられて絶望のどん底みたいな気分で、自分の身に起こったことであんなに悲しいことだってそうそうあるものじゃないのに、それですら世の中見渡してみればちっとも大した悲しみとは思えなくて、こんなことで悲しんでいる自分がますます嫌になる…… 

改めて書くと本当に何くだらないことでぐちぐち言っているんだとしか思えなくなってしまうね。それでもこうして書きたくなってしまうほど、私にとっては大事な楽しみをなくしてしまったのだ。あれから7年間うれしかったことなんて何もなかったような気さえする。そう思うくらい、喜びをあのときに喜び残してきてしまった。個人的な悲しみでさえ荷が重すぎて、世の中にどんな悲しみがあるかとか、もっとどんな問題があるのかということなんか、とても引き受けることができなくて、目を逸らしたまま今まで来てしまった。

あの3月以来、私は明確に刹那主義的な考え方に寄りがちになった。いつかやろう後で楽しもうなんて先延ばしにしていたら、本当に、いつ何もかもパーになるか分かったもんじゃない。

 

こんなことを書いたとして今さらつまらない思い出語りでしかないし、誰かに何かを分かってもらおうという気も、伝えようという気すらないかもしれない。誰かが悪かったわけじゃないし私はただ悲しい。その悲しさは時の流れに反してびっくりするほど変わっていないのだけど、ただこうやって格好つけて文章にしてやったら、形にならない気持ちだけくすぶらせているよりは、ゼロじゃないだけマシかなと思った、それだけだ。