On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

遠足の準備より遠足当日を素直に楽しいと思えた夏

遠足は当日よりも準備してる間の方が楽しい、みたいな傾向が多分にあって、例えば週末が楽しみだったとして、昔から木曜日あたりが一番好きだった。日曜日はあまり好きじゃない。楽しみにしてた週末が終わって、次の週末が一番遠くなる日だから。

とにかく何か楽しみにしているイベントがあると、その当日といったらどこか気持ちが重くなるのである。だってもう楽しみを楽しみにすることができないんだもの。逆に楽しくないイベントの場合は当日が一番ハイテンションになる。例えば試験なんかそうで、ずっと続いてきた試験勉強とかいろんな重圧がこれさえ済めば終わると思えば、一番重いはずの当日はむしろ楽しくさえあった。とにかく、楽しみの中に在るとき、その楽しみ自体を楽しむことよりも、楽しみの時間がどんどん減っていくことばかり考えてしまうのだ。

 

てなわけで、夏休みも8月に入るともう心が重い、というのが学生時代は定番だったわけなんだが、今夏はそれがびっくりするほどなかった。楽しさの中に憂鬱がなかった。夏休みといって1週間帰省してきたくらいなんだけど、地元東北は猛暑を逃れて過ごしやすく、といって気が滅入るほどの冷夏でもなく、適当に暑く、不快にならない程度に汗をかき、スイカをおいしく食べて、山に登り、湖に行き、花火を見て、十分寝て、墓参りと親戚付き合いも済ませ、あとはずっと好きな本を読んで過ごした。タイミングが良かったのか何なのか、自分にとってこれ以上ないお手本のような夏休みだった。

そしてこれだけ充実していると、充実した日々が終わることが惜しくて憂鬱になる、という気持ちすら起こらないのだった。そりゃ充実した日々は終わってほしくはないんだけど、それが終わるとしても、まあそろそろそういう時期だよねって穏やかに受け入れられるという。楽しみを楽しんでも惜しむ気持ちが起こらない。心に余裕があるってこういうことかと自分でも驚いた。

心に余裕があるってことは何もかもどうでもいいと思うことに近くて、こうしなきゃいけない、こうでなきゃいけない、こうしたい、みたいな強固な信念から解放されている状態なんだろうな。それってたぶん生産的な気持ちとは反比例するもので、何かを書こうとか新しいことを始めようと思うためには余裕のない渇望感の方が必要なんだろうが、まあそれは放っといても湧いてくるものなので、今のところは珍しく余裕のある心を持てた有難さの方を存分に享受することにしたのであった……