On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

『地獄先生ぬ〜べ〜』における巨乳

( 江藤である。))

 昨日、以前家庭教師をしていた子と艦コレに関してラインしていて、酔っ払っていたのも手伝い「やっぱ胸っておっきいほうがいい?」と聞いたら「胸で決めるようになったら男は終わりじゃないですか?」とか切り返され、色々ひどかったんだけど、そのやりとりの後、「そういえば「巨乳=男が望むもの」という価値観を私はどっから摂取したんだろう」ということを少し考えた。

 

 記憶をたどった末に、最近Twitterで少し話題にもなったが、この種の事柄に関して一番影響が大きかったのはジャンプだな、と思い当たった。

 

 私は長くジャンプ漫画を読み続けてきた。特に『地獄先生ぬ〜べ〜』はゲームボーイにハマる6歳以前から読んでいたと思う。この漫画はなかなかに過激だった。

 ぬ〜べ〜に関しては以下を参照。2014年にドラマ化したらしい。全然知らなかった…。

http://www.toei-anim.co.jp/tv/nube/

https://ja.wikipedia.org/wiki/地獄先生ぬ〜べ〜

 

 まず、この漫画で登場人物の女の子たちは大抵グラマラスなボディを持っている。彼女らが日常生活の中で着替えたり、シャワーを浴びるなどで身体を晒すシーンの描写はしばしばあり、かつまた、彼女らが妖怪の作用により本人の意思とは無関係にお色気ムンムンな雰囲気をまとったり、身体的な魅力を活用して男性の友人たちをはべらすという展開も一定の頻度で見受けられる。

 全ストーリー中もっとも過激だったのは、主人公鵺野鳴介の右手に封じ込められた鬼の妹にあたる女鬼ミンキが登場するあたりではないか。「鬼のパンツはいいパンツ」という歌に現れるように、鬼のパンツはそれを履く鬼に力を与えてきた…というような日本古来の伝承を背景とし造形されたミンキはパンツにより自己の力を制御するということになっている。

 そして、このパンツは、一方で、具体的な攻撃の道具にもなる。ミンキの技であるミンキーパンツは跳躍したミンキが空中で思い切りよく開脚し、パンツを纏った股間を相手に衝突させる形で行われる打撃攻撃である。というと、ラブパニックコメディのようなドタバタタッチを想像するかもしれないが、この攻撃シーンは他の妖怪たちの攻撃シーンと同様、いたってシリアスであった。もしかすると、ひらひらとしたあの無力なパンツをいかにして武器にするかということを作家と編集が真剣に悩んだ結果なのかもしれない。

 ミンキ問題に関してはこのブログに言及がある。パンツをはいていない女ヒロインの導入が当時の読者に対して投げかけた波紋が、筆者の反応から看て取れる。

blog.goo.ne.jp

 

 妖怪に関する場面を離れても『ぬ〜べ〜』では少女の体のセクシーさの過剰や、その逆の欠如は繰り返し焦点化される。ヒロインの一人であるミキはその巨乳を利用してへなちょこ男たちに色目を使ったりするおませな子で、本命ヒロインのキョウコはミキにそのペチャパイを繰り返しけなされたりする。

 乳の大きさを賭け金としたやりとりはこの漫画のギャグパートでも頻出する重要なテーマの一つであると言って良いだろう。小学生にもかかわらず大きな乳を持つミキは、男性の欲望の対象として自分の体を積極的に差し出し、それによって同級生たちからの差異化を測る。が、漫画中の描写で「垂れ乳」が繰り返し現れるように、それはあくまで一定の若さを保っている間しか効力を持たないことが示されている。

 一方ペチャパイのキョウコはガサツで暴力的で、性格としてはおよそ女性的な魅力に欠けるものとして描かれているものの、ヒーローであるヒロシを仕留めるのはキョウコである。

 セクシーな女性の身体の魅力は、愛の強さに負けるという典型的な筋書きであるので、その限りにおいて、この作品が巨乳を無批判に称揚しているものとはいえないが、それにしても、大きな乳を持たない女は身体的魅力に劣るというメッセージは強く伝わって来る。『ぬ〜べ〜』にはまった子供は、巨乳=男が求めるもの、という価値観を持つようになったのではないだろうか。

 

 巨乳問題に関しては、続く。