On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

ポテンヒット、馬が合わない、スポブラ


2001年から始まった漫才のコンテスト、M1グランプリが今年も開催されている。
勝戦の行われる年末にむけて、現在、準々決勝までが消化された。

(読み飛ばしてほしいんだけど、これまでお笑い関連の記事を書いたことがなかった気がするので、自分がお笑いを全く知らない人なのかそれともどんな感じに追ってる人なのか、一応書いておきたいように感じるので書くと、結局多くの人はお笑いをある程度見るのではないかと思うので、私は自分がお笑いファンかよくわからないが、好きな芸人のトークライブや大手事務所主催ライブや全国区ではない芸人の自主企画ライブなどにいったことがあるので、そういうレベルでお笑い好きなんだと思う。賞レースは生で見たことはないけれども、決勝戦に関して言えば、2007年のサンドウィッチマン優勝以降はリアルタイムでテレビなんかで見てて、それ以前のものも遡ってレンタルや配信で全部見たと思う。先日決勝戦が開催されたキングオブコントもそうだが、好きだったネタは何度も見返したりしている。という具合で、比較的お笑いファンの方なのかもしれない。)

3回戦や準々決勝のようすはGYAO!でも配信されており、私は早速知ってるコンビを中心に手あたり次第再生し、見て、笑ったりした。

一度眠りにつき、起きると漠然と先ほど見た動画たちの印象が思い出された。自分が思い出すのはなんとなくどのネタが面白かったなという印象と、先ほど見たとき何かに気づいたように感じたけどわからなかった何かだ。

見取り図というコンビのネタのなかで、謎の納得感というか高揚感というか、忘れていたくらいちょっと昔に流行った脳科学の専門家の口を借りれば「アハ体験」のようなものを表面的に味わっていたけれど、そのときつまりその体験が深いものになったのであった。

準々決勝で彼らの披露したネタのなかで「スポブラ」という言葉が登場する。これは別のネタのなかの別の展開のなかでも言っていたような、とそれを突如思い出した気がした。youtubeで再生した形跡のある動画をいくつか見ると、やっぱり言ってて、第52回上方漫才大賞で披露していた、オシャレについてのネタで言っていた。ちなみに今回のネタは、色気のある大人の仕草を切り口にしたネタだった。(こうして書くと似たようなテーマですがね)

構成の全く異なる2つのネタで、ボケとして登場する「スポブラ」は、スポーツブラジャーの存在やネーミングなのか、その言葉に、強烈にいわゆる「なんなんだ」、「なんやねん」、あるいは「なんなんほんま」的に思い、ある意味めちゃくちゃ衝撃を受けた単語なのだろうなということが表現されてしまっているような気がするし、控えめにかけば少なくともそんな想像が膨らむ。そうした個人のこだわりは衒ってできるものではないように思い、面白いし、メッセージとして受け取れる余地があり、得した気になり、まったく嫌な思いのしないものだと思う。誰かが言っているからという理由で乗っかるという悪口やヘイトスピーチの逆のものを感じる。
似たような言葉として、天竺鼠の川原さんがバラエティ番組(イロモネア)でおこなったショートコントで振りを重ねたうえで言ったボケとしてつかったり自身のyoutubeチャンネルで曲のタイトルにもしたり色々な場面で口にする「ポテンヒット」(川原さんは高校時代など野球部だった)や、鳥居みゆきさんが様々な番組のフリートークやコントのなかで使っている「馬が合わない」という言葉も、そのようなものとして感じている。

最近ツイッターでは文脈関係なしに「死ね」みたいな発言があれば、違反報告の積み重ねでアカウントが凍結されるということがあるが、言葉の暴力はべつにわかりやすいものだけではないし(「言葉の暴力」という言葉が一般に指し示すのはわかりやすいものだけかもしれないが)、言い換えるとある種の言葉による攻撃が自分にヒットしたとき、これはなんなんだろうと思い、誤解をおそれずにいえば本当の意味で傷ついて、大袈裟な言い方をすれば忘れられないでトラウマ化しまうことはあるし、それを無害化するかのように自分の作品や話のなかに織り込んで自分なりの意味をもたせていくというのは、衝撃を受けてまるで凍ったようにかちこちに固まってしまうよりも、言葉の世界から逃れられないとすれば、柔らかくあたたかい素敵な生き方であるだろうと思う。