On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

世界の終わりでアン・ドゥ・トロワ、あなたの脳内に直接話しかけています、私は行きませんが…… インターネット時代の絶望(インターネット時代の絶望とは言ってない)

 私たちを襲う虚無は、初めは「何やりゃいいのさ」という衒いのない戸惑いのようなものだったという。それはもしかしたら言語ゲームに参入する際、神経生物学的インフラとして各人に備わっているパラメーターとしてのエネルギーが無意識的に供給されているということの証左であり、ひょっとするとこんなものすら私たちは恩寵として受け取らなければならないのかもしれない。そう思うと途端に気疲れしてくる、なんてことも私たちのなかのセンシティヴな個体においてはありえるかもしれない。センシティヴというのは、社会的な弱さのことである。私たちのなかのいくつかは教育ないし条件付けによって、そういったセンシティヴの目を育てることを個体的進化だと考えているのだ。

 

 コミュニケーションのコミュニケーションによるコミュニケーションのための……。何だろう。しかし、それは不可能だ。という具合の内言、あるいはコミュニケーション自体によって生じる気疲れは、物理的な摩耗でもあったことに気づく以前から、私たちのうちの一部は、「身体」(考えられる別答として「精神」では×。「存在」では△をつけるというのが採点基準になっているはずだ)に器質的な異常、医学の文脈で言えば治療対象を生じさせている。

 

 生老病死の四天王のなかで最弱は誰だろう……。ゲームなのだから、エンディングを見る以前にそういうことが問題になってくるのだと思う。しかし、ゲームではないらしいという話も聞く。ダブルバインドだ。私たちの中の例外者は、徐々に徐々に、生活がわからなくなっていく。炎上、バズ、賛否両論、様々な意見が上がっています。疑問の声も上がっています。

 

 社会は私たちの総体で成立していると定義して、私たちのなかの私たちの方が社会の成立に参与していないと仮定した時、私たちのなかの別の方によって社会は成立しているということが導かれる。しかし、社会が成立しているとはどういうことか、社会は「本当の意味で」成立しているかは、現状では分析が及ぶ範囲ではなかったため、今後の課題とする。

 

 この文章は私たちの提供でお送りいたしました。

 

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