On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

アニメFree!、自由、規範(寄せられたコメントへの応答)

 私が以前投稿した記事にコメントを寄せてくださった方がいらっしゃいましたので、その質問への返答をしたいと思います。当該記事はこちらです。

 

queerweather.hatenablog.com

 

 

 頂きましたコメントを以下に紹介します。

 


>>nittyoku

 こんにちは。ご記事興味深く拝見しました。私は学生です。
 自分はFree!を見たことがありません。その前提の上で、ご記事に関して二つ質問したいです。

「その過程で社会通念から大きく外れてしまっても、自分にとって生きている場所からしか生き続けることはできず、それでも結果として未来へむかって生き続けることとなる。自分の言葉でまとめてしまうと、そのようなキャラクターたちの姿に、私は「自由」を感じ、いたく魅力を感じたのだと思います。」

とありますが、この部分、果たして「自由」なのかなと疑問を抱きました。「それでも結果として未来へむかって生き続けることとなる。」というのは、強いられているようにも取れます。
 中江さんがここにどのような自由を見ているのかをお聞きしたいです。

「現在の日本においては一般的な、男性から女性への肉体的な欲望が当然視されながら、女性の欲望については抑圧しているという性的規範の逆と言えると思います。」
 
 と書かれていますが、腐女子による男性身体への欲望も、また女性身体に欲望を抱かない草食系男子の存在も、周知のものであり、これもまた、現代の日本において「一般的」な規範のようにも思われます。この点に関してご意見いただけますか。


 よろしくお願いします。

 

 

 nittyokuさん、コメントありがとうございます。

 

 さて、まず①から答えていきたいと思います。「自由」という言葉の定義をどの程度しっかりしているかということが問題になると思います。まず、私はブログの記事ということもあり、特定の分野における用語というよりあくまで一般的な意味あいで、用いました。要するにかっちりした定義で使ってはいないのですが、それゆえ文脈から寄せたニュアンスのようなものがあると思います。

 

 付言して説明するならば、現在において身体というものはどうしようもなくあり、生活している現在という時点は逃れられないものですし、身体を動かして何かをするとき物理法則には従わざるを得ません。しかし、心の中では、過去は現前性を帯びることがありますし、人々がそれぞれに内面化している社会のルールに、行動、自分がなにをするか、を縛られることなく生きることは可能です。身体というより精神の自由。行動というより内心の自由。そういったつもりで書いたことを付け加えさせていただきます。

 

 また、コメントから伺うに、nittyokuさんは「自由」を「強いられる」ものの対極の意味で使ってらっしゃると思われますが、それでしたら、アニメを最後まで見ていただけたらわかると思うのですが、主人公は強いられるというより、いわゆる自由意志で、未来を選択し、決断しました。記事中でも「結果として」と書きましたが、未来へ向かって生きていくにあたって「強いられる」ことの表現はないのではないかと考えます。

 

 頂いた質問の②についても今日回答したかったのですが、溝口彰子さんの『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』と北田暁大さんの『社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法基準』を読み直してから書きたくなったので、次回ということにしたいです。

 

ともあれ、nittyokuさん、コメントありがとうございました!