On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

大急ぎロシア観光 その5:乗り物のこと

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 ドム・クニーギからの帰りは一人で地下鉄に乗った。モスクワの地下は交通網が発達していて電車の本数も多く、どこまで行っても値段は一定なので、目的地さえ分かっていればてきとうに乗ってもわりとなんとかなる。したがって乗るまではそう難しくないのだが、降りる方がやたら難しい。

 というのは一度乗ってしまうと、乗った駅から指折り数えるか、よく聞こえない早口の車内放送(当然、ロシア語のみ)を必死で聞き取る以外、今自分がどこの駅にいるのか情報を得る手立てが何もないのだ。ホームに駅名の標示も見当たらない。当然、電光掲示板のような親切なものはない。車内掲示の路線図もロシア語のみで、ラテン文字すら影も形もない。その上いちいちバシンッ!と勢いをつけて閉まるドア。なかなか飛び込むタイミングのつかめない大縄飛びのような緊張感がずっと続く車中の時間だった。

 

 ここにいると、自分アジア人の顔してるなーって思う。普段日本にいてこんな感覚になることはなかったので、これはちょっと新しい経験だった。ロシアでロシア人、いや少なくとも白人以外の人を見かける機会は、東京で黄色人種ではない人を見かける機会よりも格段に少ない。ただ、だからといって特別視線を感じるようなこともない。いかにも外国人観光客です、という見た目でいても何も気にされないのは気楽だし、安心感すらある。まあ、気にされなさすぎていきなりロシア語でガンガンまくしたてられて困ったこともなかったではないのだが……

 

 

 あっという間にモスクワとはお別れ。ペテルブルクには夜行列車で移動する。駅で売店を眺めたりしながら電車を待って、寒いホームはササッと通り過ぎ、チケットとパスポートを見せて車内に上がり込む。

 4人部屋のコンパートメントには、自分の他に紳士と若い男性が乗っていた。スーツケースをしまったり備え付けのスリッパを配ったりしている間、2人がロシア語で会話しているのが聞こえてくる。私も挨拶くらいロシア語でと思っていたら、尋ねられたのは「ドイツ語は分かるか?」……そ、そうきたか……!

 2人ともドイツ語もロシア語も話せる人だったようで、少なくとも2種類の言語で会話していたのだが、一体どれが母語だったんだろう。どちらにしろ私にとっては全く未知の言語ではないだけ幸いと、語学の記憶を総動員して意思疎通を試みてみたのだが、これがいざ話すとなるとまるで何も出てこないのだ。ドイツ語とロシア語がごっちゃで聞こえてきて、もう、ヤーがяなのかjaなのかわけわかんない! そんなたどたどしいやり取りにも2人はすごく親切にしてくれて、ひとりっきりのアジア人には涙が出るほどありがたかった。

 「私は日本人です」だけはロシア語で言えるように用意してきたので、中国人か?と聞かれたときは内心ガッツポーズである。名前を名乗ったら不思議な音だと言われた。ロシア人の名前は決まり切った何十種類かの中から選んでつけるものだそうだけれど、日本語の人名の生成性からすると信じられないような話だよなあと思う。

 

 ……気付いたときには明るくなっていて、窓の外には木造の小屋と畑、モスクワとはまるで違うのどかな景色が見えた。そののどかな風景も軽い朝食と熱いお茶をとっているうちにあっという間に通り過ぎ、次はいよいよサンクトペテルブルクですよ!