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東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

『窯変 源氏物語』と、平凡な大学院生から見た橋本治

 橋本治『窯変 源氏物語』を読んでいる。

 

窯変 源氏物語〈1〉 (中公文庫)

窯変 源氏物語〈1〉 (中公文庫)

 

 

 『窯変 源氏物語』は橋本治による、『源氏物語』という「原作に極力忠実であろうとする創作」である。

 この小説の中では、語り手=光源氏が自分のことを「私」と名指すため、『源氏物語』が、あたかも源氏の書いた私小説のような様相を呈している

 無論私小説はこの時代には存在しなかったのだから、このような私小説らしさは橋本治の創作によるものだろう。いずれにせよ、この形式のせいか、近現代小説に慣れている私に、橋本の源氏物語は大変読みやすい。

 

 とくに感心させられたのは、「帚木」という章において男性たちの間で繰り広げられた女性のあり方に関するやりとりである。

 例えば一部を引いてみよう。

 

「女の、”これなら大丈夫だろう”というようなのはほとんどいないんだっていうことが、最近になってようやく分かってきましたよ」

 問題は男にあるのではなく女の方で、しかもそれはどれもこれも似たりよったりの顔を持ち、だからこそ「色んなものがある」としか言いようがない−−−頭の中将にとって最大の問題とは、自分がどうあるかではなく、この世にはろくな女がいないという、そのことだった。

 私が捕まえようとして、何をどう捕まえてよいのかよく分からなかった”夜の論理”というものは、いたって簡単なものだった。

 私はまだ知らなかったのだ。男には恥部など存在しないということが、夜の論理を貫く最大の鉄則であるということを。十七歳の私は未だ男であることに不慣れで、それ故に未知の不安を”恥部”として意識していた。

 だから私はその夜、女達の品定めをする男達が恥部というものを意識しないでいる不思議な生き物だということを、初めて知ることになる−−−。

橋本治『窯変 源氏物語』第1巻、中央公論社、1991年、85-86頁)

 

 「帚木」では、このように、中世を生きる貴族の男たちの、女のあり方への洞察と、その男たちの傲慢さを抉り出して見せる光源氏の心内描写とが繰りかえされる。そして、上引用部にあらわれているように、光源氏=語り手は大人の男達のやりとりに参与しながら、内省を深めていくことで、「男」としての自己のあり方を定め、それに向けて自己を方向づけて行く。

 

 このような光源氏=語り手のさまは近代小説に馴致された私の目から見ても十分に面白い。人間性というのは千年前でもそう変わらないものなのだなとはっとさせられる(原文を確認していないので、私が面白いと思う部分は、すべて橋本治による「創作」なのかもしれないが…)。


 また同時に、「帚木」の時点では揺れ動くアイデンティティを持った思春期の少年である光源氏が、これから先10巻以上にもわたる物語において、青年期・壮年期・老年期と順に通過する中でどのような変容を迎え、どのように生きていくのかがとても気になる。
 

橋本治という人

 さて、ここで、話を橋本治という作家本人に移してみよう。数年前から、橋本治という人物が私には気になっている。

 橋本治というのは誠に変わった人である。まず文壇の中での立ち位置が変わっている。本人の言によれば、橋本が書いた本は小説・評論・エッセイと多岐にわたり、その数180点を超えるらしいが、特定の著作が話題に上らない。


 橋本は評論の分野では小林秀雄賞など権威のある賞を受賞しており、小説も若干説教くさい(後述するが、これは厳密には橋本なりのサービス精神なのだろう)が、とにかく読ませる。実力は十分にある書き手である。

 かつまた、現在進行形で盛んに文芸誌に小説を発表したり、新書を書いたりしている。それも、かなり盛んにしているのだ。例えば最近では『知性の顛覆』が出版されたし、雑誌『新潮』10月号では「草薙の剣」という小説を発表している。

 

  

新潮 2017年 10 月号

新潮 2017年 10 月号

 

 

 橋本は決して終わってしまった昔の作家というわけではないことがここからわかる。

 にも関わらず、文芸の世界でも、評論の世界でも、橋本治が話題に上ることは少ない。


 なぜなのだろうか。
 その第一の理由は、橋本という人間の区分けしがたさにあるのだろう。橋本は作家でもエッセイストでも評論家でもあり、そのどれか一つに彼を還元して語ることは出来ない。いうなれば彼は物書きであり、それ以上でも以下でもない。だから、小説を論じる文脈でも、評論について語る文脈でも、橋本を登場させづらいのだ。橋本を登場させると、話が小説や評論といった特定の分野におさまりにくくなる。


 第二の理由は、彼の書くものの性質による。たとえば橋本の評論は、彼自身が述べるように、とりとめのなさを孕む。まとまっていないような印象がある。しかし、一方で全体に一本の筋が通っていないのかといわれれば、筋がないわけではない。
 なぜそのような文章になるのだろうか。これもまた、評論家でありエッセイストでもある橋本の性質によるのであるのだろうし、橋本が何本も並行し、多くの執筆活動を行っているが故のものともいえるだろう。議論を精緻に構造化するには、橋本のようなスタイルでは、時間が足りない。それに、橋本の饒舌でわき道にそれる語り口のよさは、それでは発揮されないのではないかと思われる。


 今私が「まとまっていないような印象がある」と評したため、橋本の著作がわかりにくいように想像する人もいるかもしれない。しかし特にそういうわけではない。鋭敏かつ明快な部分は多くある。それと同じくらい、明瞭にいえるはずなのに何かに遠慮し、韜晦を含む部分もある。
 橋本は自分が商売をやる町人の息子であるから、どうしても多くの人にサービス精神を発揮してしまうと自著で述べている。また、これだけ多くの作品を発表している書き手の言葉とは思えないが、注目されすぎ、偉くなりすぎることで目をつけられることを恐れてもいるらしい。このような、外見から見える派手な仕事ぶりの一方で存在する世間への繊細な気回しが、橋本の単にわかりやすいというわけではない部分(わかりづらいというわけではない)を構成しているのだろう。

 

 この橋本が、老年にいたるまで毎月の返済額が100万円にも上るような巨大な借金をバブル期に作り、それを抱えながら仕事をしていたという事実は、意外といえば意外な話だった。橋本の過剰なほどの多作は、経済的な要請に駆られてのものだったのか…となにやら腑に落ちるような気分になったりもする。
 しかし橋本自身の言を信じるのなら、これは事態が逆なのであって、借金を抱えてしまったから否応無くたくさんのものを書かなければならなくなったというよりは、自分はたくさんのものを書けるし書き続けていけるという確信があったからこそ、借金も出来たということなのらしい。大変羨ましい。書いているとすぐに自分の底が見えてしまう私である。


  

 

大急ぎロシア観光 その4:本屋と文房具

前:大急ぎロシア観光 その3:チャイコフスキーの家博物館 - On the Homefront


 モスクワ滞在最後の半日は、一人で街をぶらぶら歩くことにした。楽しみにしていたのはなんといってもДом книги(ドム・クニーギ)、「本の家」……要するにでっかい本屋だ。ロシア語の授業で先生に紹介されて、ずっと行ってみたいと思っていたのだ。なーんて気取ったところでロシア語の本なんか読めやしないんだけどさ。

 新アルバート通りという大きな通り沿いにある大きな店舗で、「赤の広場」から歩いても行ける。地図に弱い自分でも迷わずたどり着けたが、道路を渡るのに地下道の入り口を探さなければならなかった。この日は雪がチラついていて、チラつくだけならいいんだがだんだん吹雪いてきたりもして、季節は完全に冬。上着のフードだけで雪を凌ぐには歩き続けるのがつらくなってきたころに、地下に潜れるのがちょっとありがたかった。

 

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 ドムクニーギ、2階建ての明るい店内はちょっとしたショッピングモールのような広さ。1階には本だけでなくおもちゃやインテリアやお土産売り場まであり、もうこれは何時間ここにいても飽きないなと一目見て思う。とりあえず2階の本売り場から物色してみることに。

 キリル文字の読解力を総動員してなんとかタイトルを読み解き、本棚を眺めているだけでもこれが十分面白い観光地なのだ。例えば音楽書にしても、さすがにチャイコフスキーは人気だなとか、プロコフィエフも負けてないなとか、あとはやっぱりバッハ、モーツァルトベートーヴェンは外せないんだなーとか、それなりに発見があるものだ。もちろん中身が読めればそれに越したことはないんだが……。文字をを追うのに疲れてきたあたりで、装丁の可愛らしさに心ひかれて、ピアノでかんたんに弾ける子供向けの『展覧会の絵』の楽譜を買った。五線譜は世界共通だからね。

 子供向けといえば、話は逸れるが、アメコミヒーローやディズニーキャラクターはロシアでも定番らしく、コミックやおもちゃがあちこちで売られていた。それにしても、この国に来てからというものマンガをほとんど見かけない。というのはコミックブックのことではなく、マンガ的なイラストが全然ないのだ。街中の広告もだいたい文字と写真ばかりで、「ゆるキャラ」のようなイラストすらほとんどお目にかからない。当然、日本のアニメ絵のようなイラストはどこにもない。児童書も何冊か見たが、軒並み挿絵が教科書っぽかった。まあこれはロシアの特徴というより、日本の方が特殊なのだろうけれども。ピカチュウハローキティはだいたいどこのお土産屋にもいて、その人気のほどに驚かされた。

 

 話を本屋に戻すと、その後あちこち見て回った末に、読めやしないと思っていたのに結局ロシア語の本を買ってしまった。『日本語ぺらぺらの為の二つの語根からなる言葉』……ロシア語話者向けの日本語学習のテキストなんだが、「ぜんぜん」とか「どきどき」とか「ニャーニャー」とかそんな語彙ばかり集めて解説した本で、なんかちょっとワクワク、ニヤニヤしてしまうじゃないですか。

 この本はそうでもなかったが、日本語の語学書の表紙はだいたい富士山に桜に真っ赤な鳥居とかそんな感じで、あまりにもいかにもいかにもなのでちょっと面白かった。まあ、日本のロシア語のテキストもだいたいマトリョーシカなので、同じことなのだ。

 

 白状すると、ここへ来た一番の目的は本よりも文房具だった。いっぱしの文具マニアとして、お土産グッズではなくロシア人が日常的に使っている文房具をこそ見てみたいのだ。日本でも輸入文具を扱う店はあちこちにあるが、ロシアのメーカーってまるで聞いたことがない。これはもう、現地調査するしかないというわけです。

 結論。1階の文具売り場に並んでいたボールペンやシャープペンシルの類は、ほとんど外国メーカーであった。外国というか、日本メーカーのペン。それもよく見慣れたパイロット、ぺんてる三菱鉛筆、ゼブラ、などなど。マジかー!!

 日本で買えば100円か200円くらいの、一番シンプルな事務用筆記用具といったタイプのペンがざくざく並んでいるのだった。値段は200ルーブル程度(1ルーブルがだいたい2円くらい)と若干割高だったものの、製品自体は日本で手に入るものと何一つ変わらない。多少ラインナップは古かったかもしれないが、そのくらいだ。

 もちろん日本メーカーのものだけではなく、スペインのMILANやフランスのBIC、ドイツのSTAEDTLERなどヨーロッパのおなじみのメーカーもたくさんそろっていた。しかしいずれにせよ日本でもよく見かける製品ばかりだ。珍しかったのはMade in Turkeyと書かれた派手な鉛筆くらいか。ロシア国産のペンなどは、探した限り一つも見つけられなかった。マジかー。拍子抜けといえばそうではあるが、日本のそんじょそこらの文具売り場よりも商品の数はずっと豊富で、海外にいることも半ば忘れて文具漁りに没頭してしまった。

 

 「書く」ものに関してはそんなところだったが、「書かれる」ものの方は期待通り、日本では売っていないようなノートやメモや手帳にたっぷりお目にかかることができた。メイドインロシア製品もたくさんあって、デザインもかわいいものばかりで心が躍る。キリル文字のキャラクターが描かれたノートなんか、現地の子供向け学用品なのかもしれないが、値段も手頃なので目移りしてしまった。いかにもロシアロシアしていなくてロシアっぽく、ちょっと見かけないような文房具が手に入るとなると、ふつうにお土産としても重宝しそうだなあ……と思いつつ、つい自分へのお土産ばかり買い込んでしまう。ドムクニーギ、やっぱり何時間いても飽きないお店でした。

 

 大急ぎロシア旅行、まだつづきます。

欲望するからAVを観るのではなく、欲望の対象を見つけたくてAVを観る。

 昨日友人と話している時に「夕食の後は結構AVを観る」と言われ、「食事の直後って私あんまり性欲が高まって興奮するという感じじゃないんだよね。平常状態でAV観ると気持ち悪くなったりしない?」と聞くと、「でも、僕は基本的に平常状態で観始めるよ。AV。」と返されました。

 

 「ふーん」とかいってその場はそれで終わりにしたのですが、その後冷静に考えてみると、私も基本AVは平常状態で観始めるな、と思いました。少なくとも、とても性欲が高まっている時に観るということではない。そこまで高まっているのなら、AVをわざわざ必要としないことが大半です。

 

 しかし、一応何らかの欲望を持ってAVを観はじめている気がする。興奮しているというわけではないけれど、何かが高まって観はじめてはいるので、「平常状態」という言葉には若干違和感があるのでした。

 

 それではどんな時にAVを観ようと思うのかと言えば、もちろん自慰をしたいときです。ただし、繰り返しますが、性欲が高まって今にも破裂しそうで、やむにやまれず観始めるというわけではない。性欲を高め、興奮し、自慰をして快感を得るという一連のことをしたいと思って観始めるわけです。性欲が高まって観るのではなく、性欲を高めるということがしたい、と思って観始めるのです。

 

 性欲を高めたいというのは、それではどのような欲望なのか。自分自身の話をするのなら欲望の対象に何かしら集中する濃密な時間が欲しいということのような気がする。普段何かを強く欲望することのない私は、欲望すること自体をしたいと思って漫然と色々なAVを漁る。するとどこかしらに自分の欲望を掻き立てるAVを見つけることができる。ああ、これに私は興奮するんだな、と思う。

 

 これは、自己認識を深化させたいということなのか。自分の性的な方向付けを発見することで改めて自己の輪郭をはっきりとしたものにしたいということなのか。

 たしか、赤川先生の本にはそんなようなことが書いてあった気がします。

 

 

性への自由・性からの自由―ポルノグラフィの歴史社会学 (クリティーク叢書)
 

  

 それで、もしそうだとすると、どこまで言っても自己が不確定なものとしてある以上、ポルノグラフィを探索する旅は終わらないことになるわけです。

 あまり自己の内面を見つめず、深く考えないタイプの子がいたってノーマルな志向性を持ち、そもそも大して自慰をせず、するとしてもおかずが『To LOVEる』レベルだったりするのは、それほど自己の輪郭を確定する必要にかられていないからなのだろうと思われます。

 自己探索を盛んにする人物は、自己の性のアブノーマリティについて語りたがり、また、AVに関しても、細かな設定にこだわったりする嫌いが強いように感じられます。

 

 だからなんなのか。うーん。ちょっと保留、なのですが。

 

 今日は風が滑らかで大変良い日でした。

 

偽の歴史というジャンル:フィリップ・K・ディック『高い城の男』

 大学一年生の時、シラバスでふと見つけた船曳ゼミに未だに参加しています。文化人類学者の船曳建夫先生のゼミです

 最近、そのゼミの読書会で、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』という作品を読んだので、感想を書いておきます。

 

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

 

 

 この作品は日本とドイツの勝利というあり得たもう一つの現実=偽史を舞台としています。作中では、アメリカが勝利したという(作中内の観点から見た)偽史が流通しており、作品はその作中内偽史(=読み手にとっての現実)を読む人々のありように中心的に焦点化しています。

 この作品の眼目は偽物の歴史、あり得た世界とそれを読む人々との関係のありようにあります。

 個人は大きな歴史の流れから容易に外に出ることはできないが、それをわかりながらあり得たもう一つの物語を作ってしまう。そして偽にすぎないそれらの物語から力を得て、現実(=『高い城の男』の物語)が駆動されていってしまう。そのような偽史=フィクションと現実との関係性が描かれているのです。

 

 作中内で扱われるアメリカ側が勝利したという偽史は、終結部でむしろそれこそが真実であったと暴露されるのですが、偽のものが真実であったことがわかってなお、だからといって偽の側に反転してとらえ直される『高い城の男』の世界の人物たちが真実=アメリカの勝利した世界に向けて外に出ることはできず、現実的な戦勝国=ドイツの迫害は身に迫る危機としてあり続けています。

 だとしたら、真実を知ったことにいかなる意味があったのだろうかと思わずにはいられません。ということで、ここで作中内で流通する偽史の作者である「高い城の男」が、占いに助けられてその物語を書いたこと、そのことの意味は何かという問いがわきあがってくるでしょう。

 

 『高い城の男』は偽の歴史を読む人々の物語であるとともに、偽の歴史を書く高い城の男=作家の物語であり、危機があちこちに伏在する現実に閉じ込められる人々が、そこから脱出しようとして読むこと、そして書くことの意味を問うた作品と私は受け止めました。

 あらゆるものが善と悪、真と偽の二項対立の図式に還元され得た冷戦期に、この物語は、その図式自体への懐疑を投げかけていた、ととりあえず言える気がします。このように大まかに言ってしまえる作品は多数存在すると思うのですが、この作品も大きくはその一群の中にあると考えられるのです。

 

 真も偽も作られるものであり、かつまたある事柄が真であるか偽であるかがわかったとして、それとは関係なく危機は迫ってくる。にも関わらず、真なる物語を書くのは何故か、という問いに戻りましょう。

 「高い城の男」は何も真なるものを書こうと言う当為により書いたのではなく、占いに導かれて、それを書いたということでした。つまり、何かしら魔術的な力に駆動され、思いがけず真実にたどり着いてしまった男であるということになります。

 だからこそ、高い城の男はそれの持つ意味を測りかね、真実性の力に取り込まれすぎないように、自分の書いてしまった作品からあえて距離を置いているように見受けられます。

 

 ウィキペディアによれば、この作品はディックの作品の中で例外的にまとまりのよいものであるとのことですが、それは高い城の男の、自分の書いてしまったものに対する距離感と同様の源から発しているのかもしれません。自己の書くものに過剰に接近しすぎると物語は大抵、過剰さや過度な曖昧さによる自己崩壊を引き起こすなどして、綺麗に終わることのできないものですが、作中内の高い城の男のように、ディック自身も自分の書いてしまった『高い城の男』という作品から、一定の距離をとろうとしているように考えられます。

 

 作品は偽の歴史の世界に舞台を置き、舞台内での偽の歴史=現実世界である作家ディックの生きる現実における真の歴史にたどり着くことで幕を閉じます。もちろん、最終的に「真」に位置付けられた作中内作品も細かく見ていけば、作家ディックの生きる現実世界との異動が見受けられ、このような作品内部で「真」の位置付けを与えられた歴史と現実の歴史との間の揺れをひもとかなければ滅多なことはいえないのですが、真実にたどり着くことが二項対立の世界からの脱却=外部への脱出を示すのではなく、むしろまた別の二項対立の世界=もう一つの内部に入り込むというデモーニッシュな反復が印象的でした。

 だからこそ、出発点でも着地点でもなく、ある内部からもう一つの内部への移動、書くことと読むことを通して演じられる移動を描く作家の眼差しこそが、作品の本領と感じられます。

生徒に影響力を及ぼしたい、という欲望

 江藤である。

 

 今日は、顧問をしている部活動の練習試合があったので、1日学校にいた。たるいなと、思ったし、休日を謳歌したいなとも思ったのだが、引き受けた以上仕方がない。ちなみに、最近よく話題になっているように、部活動のための休日勤務に対する手当はわずかだ。全く割りに合わない。こんなことで休日が潰れるのか、と思うと怒りを覚えそうになるタイミングもある。

 

 しかし断っておかなければならないが、部活の顧問になることに関して、実は僕はやぶさかではなかった。

 

 部活動の顧問を教員たちがほぼ無給でやっていることが社会問題化し始めたここ二、三年の流れを受け、当然に僕も、そのような労働形態が不当であるということは声を大にして言いたい。

 ただ、それはそれとして、僕自身の中には手当の有無に関わらず、部活動に関わりたいという気持ちが確かにあったのである。そして自分で、それは大変に不純な動機であるとわかっていた。

 

 なぜ部活に積極的に関わりたいのか?一番は、「生徒の成長を目の前で見守りたいからである」。ほとんどクリシェと化しているこの文言は、おそらく(若干の悪意を込めて)言い換えるなら、このようになる。つまり、僕は可塑的で素直で自我が未発達な子供達に自分の影響力を及ぼしたいのだ。そのようにして、人に対する影響力の高まりにより、僕は喜びを感じるたちなのである。

 こう書くと、自分が、権力欲の極端に強いいびつな人格の人間のように思われてくるのだが、それが偽らざるところだから仕方がない。

 というか、教員は、多かれ少なかれ、自分の工夫、自分の経験をもとに生徒に影響力を及ぼしたいと思っている人種だと思う。

 

 ここで、自分が生徒だった時の頃を思いおこそう。積極的に関わろうとしてくる教員には禄なのがいなかった。当たり前だ。教員を初めてほとほと実感するのだが、身体的・精神的な観点から言えば、生徒はほっといても育つのである。

 僕たち教員の役割として最も重要なのは、彼らが社会に出たときに必要とされる技術を身につけさせることだ。ことこれに関して、生徒が勝手に身につけることはあまりない。学校の授業やテスト、そして入学試験等で漢字の書き取りを扱わなければ、ほぼ全ての人が漢字を満足に書けずに社会に出ることになるだろう。

 国語の教師としての僕の1番の役割は、目の前にある文章を書かれてある通りに読む力を身につけさせることである。次に、それを批判的に読ませることがくる。

 

 僕の役割は、生徒たちの人生におけるパトロンになることでは全くない。

 

 当たり前のことを言っているように聞こえるだろうか。少なくとも僕にはそう聞こえる。

 しかし学校現場で働き始めて驚かされるのは、生徒に慕われたい、彼らと精神的紐帯を結びたいと、陰に陽に思っているであろう教師が案外多いことだ。先に述べたように、僕もそう思っている。そういう動機から、部活でもやるか、と思ったのだ。

 というか、無給なのに部活の顧問がやりたいと積極的に思うなんて、それは生徒と関わりたいからに決まっているじゃないか。

 

 ということで思うのだが、部活のための手当がほとんど出ない現状における被害者は、何も教員だけでなく、自分の実存を満たすために顧問になる教員と接しなければいけない生徒全般だと思う。

 「無給なのにやってやってるんだぞ。君たちの未来のために!(感謝しろよな)」というような態度で接してくる恩着せがましく尊大な私のような教員が顧問になるのは本当はよろしくない。なぜなら教員を調子に乗らせるからだ。そんな人間に顧問になられても、のびのびと部活動ができるわけはない。

 早く十分な手当が出るようになって欲しい。もしくは、顧問を別に雇うようになってほしい。

繊細さを失わず、生活を見つめる:津島佑子「水辺」

 昨夜は眠れなかった。築30年を超える私のアパートの窓は、時折激しくガタガタと鳴って、その度にまどろみから覚まされた。そして、このような嵐の夜に、その風雨の影響を受けず曲がりなりにも睡眠をとることができるとはなんということだろう。住むべき家があって本当に良かった、という安心感から再び眠りにつくということを繰り返した。

 

 あとから読み返した時に思い出しやすいように、この度の台風に関するニュースをはっつけておく。

www.tenki.jp

 

 

 明けた今日、台風一過。素晴らしい天気である。部屋が明るくなって風が吹き抜ける。

 

 爽快感に突き動かされるように、津島佑子「水辺」(以下、引用は『光の領分』(昭和54年9月、講談社)より)を読んだ。

www.amazon.co.jp

 

 夫との離別から一人で娘を育てなければ行けなくなった母の、生活へのかすかな期待と不安感とが、相互の葛藤が織りなす繊細さを捨象しない形で丁寧に掬い上げられる。第一に印象に残ったのは次の一節。

 

娘の父親であり、私の夫である男だが、私はすでに一ヶ月以上、その男の知らない、知らせようもない、とりたてて大きな事件は起こらなかったが、その平穏なことに、かえって、これからの日々への恐れを膨らませずにいられないような生活を続けてきてしまっている。安定を保てるはずがないのに、一向に倒れず、それどころか、そのまま根を張り、新しい芽さえ覗かせようとする、歪んだ、こわれやすい、透明なひとつのかたまりを眼の前にしているような心地だった。それが見えるのは、私の二つの眼だけなのだ。藤野と再び、夫婦として、なにげなく顔を合わせるには、私はあまりにも、この新しく自分に手渡された不安定なかたまりに愛着を持ちはじめていた。(43-44頁)

 

 「私の二つの眼だけなのだ」という箇所に、不安定な足場に立ちながら、揺れ動く生活の実相を見つめる覚悟を感じ、はっとする。

 一人暮らしを始めた自分は、自分の二つの眼によって、眼の前に去来する複数の不安定性をしかと見つめられているか、それ以前に、見つめようとしているか、と考え込んだ。

 第二に印象に残ったのは次の一節。

 

藤野から電話が掛かってきたのは、その次の日の夜だった。私には、ますます藤野の気持をこじらせるような応対しかできなかった。藤野の声を聞くたびにどうして足が震えるのか、分からなかった。

 同じ夜、私は自分が銀色の星の形をした器のなかに坐っている夢を見た。器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼り付いていた。許して下さい、と叫ぶと、中学生の頃の同級生が私の星を見上げて言った。

〈あなたは、どうして、そう、だめなの〉

 同級生と言っても親しく口をきいたこともない、ずば抜けた成績の持ち主だった。いつも級長に選ばれていたのはともかく、容姿も整っていたので、男友だちも多かった。それにしても、あの人を今頃、夢に見るとはそのこと自体、馬鹿げている、と思いながら、そんなことを言われたって、だめなものはだめなんだもの、と涙を流しながら弁解をしていた。それに、これでも見捨てずにいてくれる人だっているわ。本当よ。きっと、いるわ。(45-46頁)

 

 他のようではあり得ない自分に関し、許しを請い、請いながら許しの到来を薄弱な確信とともに待ち続ける。「きっと、いるわ」から受け止めることができるのは、信仰というテーマと思われる。

 屋上における給水塔の漏水といった小さな事件をきっかけにして、語り手が直面する日常生活における問題のその先が見えたり、あくまで解決に至らない部分の堅固さが改めて確認されたりする。その繊細な筆致に感銘を受ける。

 私たちが直面する問題、その困難、その解決の糸口はどこか遠くにあったり、何か大々的な事件の末にやっとその全貌が明らかになるのではない。常にそれらは手の届くところにあり、「二つの眼」で生活の細かな事象を逃すまいとして見るものに明らかになるのだろう。

 

 今日は森鴎外記念館のモリキネカフェに行った。悪くなかった。そのあと、東大の総合図書館に行ったが、入館証を忘れて入れなかった。無念。

コンプレックスをばねにする−−−でも、何のために?

 超難関中高一貫校から東大に落ちた人の一部は東大コンプレックスを抱くようだ。そもそも日本一入試偏差値が高い大学なのだから、普通に人生を送っていれば入れなくて当然であるのだが、中高時代の成功体験に縛られ、苦悶の末に入らないことを選択した瞬間/度重なる失敗で入れないことが明らかになった瞬間にそれが大きな失敗として傷を残してしまう。

 この種のコンプレックスに一時期とらわれることは別に不思議なことでも何でもないだろう。人はそれぞれにコンプレックスを持っていて、それと全く無縁の人はほとんどいないのではないだろうか。

 以前同期の中では最速で助手の地位を得た理学系の先輩−−−柔和で気品があり、頭が良く常に冷静な彼−−−が、恋人がいるかいないかという話になったとき突然、不思議なほど強がって、「そろそろ作ろうかな」とかいいだしたので驚き、「いやいや、そんな簡単に作れないでしょう」という言葉が喉元まで湧き上がって来たことがある。こんな人でもコンプレックスを持つのか、つくづく、悩みというのは人間に平等に与えられるものなのだな、と思った。

 

 誰にでもコンプレックスはある。一方で、コンプレックスに強く囚われ続ける人は限られてくる。求めるものを得ることができなかったという気持ちに繰り返したちかえらざるを得ない環境にいる人たちが、そのような人々だ。

 例えば冒頭で触れた「超難関中高一貫校から東大に落ちた人」の中には、大学院から東大に入学するものが一定数いる。もちろん彼らが成績面で優れており、熟考の末東大に求める環境を見つけたという健全なきっかけの可能性も十分にあるが、僕の見聞の限りでは、単純に東大に入りたいという気持ちも強いようだ。

 では、東大コンプレックスに動かされて東大の大学院に入った人は、それでコンプレックスを解消することができるのだろうか。そうできる人もいるのだろうが、一部の人はむしろ、東大の大学院に来たことで、学部で東大に入ることができなかったというコンプレックスを改めて強く持つようになると考えられる。

 例えば僕の友人で、東大にどうしても入れず、別の大学に行った友人は、大学院から東大の、それも入学が難しい研究室に入った。大変な努力だったろうと思う。大学院の入学式に彼が二親とともに出席していたのが印象的だ。内部から進学する学生の親の場合、大学院の入学式はスキップする人が多いからである。

 それで、彼にとって東大に行く/行かないの件はもう決着がついたものと捉えていた。しかしそうではなかったようだ。もう大学院入学直後、彼がインスタ上で、誰もが名前の知る首都圏難関私立高校から私大に行った友人(つまり彼と同じような境遇の人)と、「東大のことにずっと拘束されている気がして」とレスを飛ばし合っていたのを見たときは驚いた。なるほど、大学院で東大に入っても、学部で東大に入れなかったというコンプレックスが持続することがありうるのだな、と思った。

 そうして彼は、再びコンプレックスを解消するために、今度は大学院での勉強に励むことになるのである。「コンプレックスをバネにして努力しようぜ!」というレスが、先のインスタのやりとりの最後であった

 

 さて、「コンプレックスをバネにして努力を重ねる」−−−この言葉に、僕はなんだか違和感を覚える。努力を重ねることで、覆ることなら、その意味はあるだろう。しかし、バネにして努力を重ねても解消されないコンプレックスがある。

 例えば学歴がその最たるものだ。学部に入学以降いくら努力を重ねても、東大に入れなかったという事実は変わらない。職業社会で生きていく限り、学歴は一生ついてまわる。 「コンプレックスをバネにして努力を重ね」ても、コンプレックスが消えることがなければ、ただひたすらにコンプレックスに追い立てられる生活が待っている。東大にコンプレックスを抱く限り、どこでどのように成功しようと、東大に入らなかった/入れなかった事実はかわらない。

 そもそも、「コンプレックスをバネにして」というような言説が登場するのはなぜかを考えてみよう。それは、コンプレックスに囚われて生きることが辛いことであるからだ。それは辛く、苦しい。世の人の大部分が気にせず生活を送っていることに関して時に過剰に気にし、頭の中の理想の自分と現実の自分との乖離がちくちくと胸を刺す。

 

 「コンプレックスをバネにして」は、本来そのようなコンプレックスを解消させようとして生まれて来た言説なのだろうが、実際には、むしろコンプレックスに駆動された終わりなき戦いに人を追いやっているように見える。なぜならそのような言説を享受している、強いコンプレックスに悩む人の、コンプレックスの対象とは通常、逆立ちしても得られないものであるからだ。得られるものなのだったら、とっくに得ているだろう。

 コンプレックスをバネにして社会的成功を得る−−−結構な話だ。しかし、貴方のコンプレックスは、そうした成功を得て、解消するものなのだろうか。解消しないのだとしたら、一体何のためにそれをバネにしたのだろう。外から見た「成功」を手にしたところで、貴方の内的欲求は満たされない。貴方は誰のために生きているのか、と思う。

 重要なのは、だから、コンプレックスから抜け出す方途を探ることだ。第一に、それをバネにすることで本当にコンプレックスから抜け出せるのかを考える。抜け出せるなら、確かにそれでよい。けれど大抵の場合、コンプレックスをバネにしたところで抜け出せない。独り相撲になるだけだ。

 

 人は社会に出て、生活をしていかなければならない。口を糊する手段を得なければならない。そのために、社会に自分を合わせていくことは重要だ。だから、その限りにおいて、コンプレックスを上手に利用するということはありうる。そのままでは努力しない自分を奮い立たせるために。

 しかし、それが終わった後は、それを見つめ直し、解消していく時間が必要だ。決して得られないものに拘った時間を振り返り、その営みが何になったのか、ということを冷静に算段したあとで、改めて自分の生を生きていくことを考えなければならない、と思う。

 

 僕の考え方は、「若いうちにがむしゃらに努力する」ことを回避する怠け者の思想に感じられるかもしれない。まあ確かに僕は怠け者なのだが、「がむしゃらに努力する」ことと同様に重要なことに、「がむしゃらに考える」ことがあるだろうとは思う。大多数の努力は、考えなくてもできる。むしろ、考えないために、「がむしゃらに努力する」ことがあるのではないか。