On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

喫茶店のレビューをする

 大学院生時代は常に喫茶店を巡っていた。自分の机や自分の本棚といったものが大学内に与えられなかったからだ。

 

 東京大学で?−−−そうなのである。少なくとも、駒場の人文系院生で自分の机というものを持っている者はほとんどいない気がする。本郷の方でも、人文系院生に関しては、似たような事情の専攻もあるのではないだろうか。

 

 今日、法学政治学研究科の友人に研究室を見せてもらって驚いた。専用の机、パソコン、そして書架が与えられている。隅から隅まで本を入れれば、厚めの本でも60冊ほど入るのではないだろうか。なるほど、多大な格差だと思った。こちとら、書籍を置くスペースが与えられていないのだから、大学で研究しようと思えば家からせっせと持ち運んでくるしかないのである。もちろん、カバンに目一杯本を詰めても、せいぜい数冊程度だ。

 

 「いやいや、研究しようと思えば結局自分の手元に置いておけるレベルの(それほど貴重でない本で)できることは限られるでしょう?」−−−えーと、もちろんその通りであるのだが、修士学生レベルではやはり、手元に置いておける程度の基本書から学ぶことは多い。だから、手軽にそれらにアクセスできるような自分専用の書架があるかないかは効率に大きく影響する。それに、自分の机が与えられていれば、到着した直後ノータイムで研究に入れる。

 

 そのように拠点となる研究の場所がなかったことと、常に気分転換を必要とするような性格とがあわさり、修士課程の二年間、私は常にいくつかの場所を巡りながら研究に必要な文献を読んでいた。その場所のサイクルの中には図書館、自習室と並んで喫茶店があった。1日に二軒三軒とはしごすることもあった。

 特に駒場東大前に発着する井の頭線に乗り換える時に利用する吉祥寺駅の喫茶店には詳しくなったので、吉祥寺駅で善く通った喫茶店を読書やレポート執筆に適するかという観点からレビューしたい。

 

「時は金なり」という病気

 江藤である。少しサボりすぎてしまったが、通常運転に戻していく予定。

 

 次から次へととにかくこなしていくことが中心の生活であると、余りの時間がなくなってしまう。もちろん、空き時間はあるのだが、「空き時間」とは埋まっていることが前提の、私の有する時間の中で、たまたま空いた時間にすぎず、「空き」という認識自体がその時間を埋めることを要求している。結果空き時間は「〜をする時間」とすぐさまラベリングされてしまい、何にも使う予定のない、余ってしまった時間とはまた別なのだ。

 

 余りの時間とは、本当に何をすることもないような時間だ。仕事場には空き時間はあっても、余りの時間はあり得ない。仕事場には何かをすることに方向付けられている時間と、何かをすることに方向付けられるべき時間=空き時間しかなく、何にも方向付けられていないし、また、方向付けるべきでもない時間=余りの時間は存在しない。少なくとも、そういうことになっている。

 だから、定時前に仕事が終わっても、私は定時までふらふらしているというわけにはいかず、普段なかなかできないようなデスクトップ上の不要ファイルの削除や、いつのまにか机の上にたまってしまった書類を整理するなどして時間を過ごす。

 

 それでは、仕事場の外ではどうだろうか。私の場合、余りの時間を享受できるとしたら、それは土曜日の午後と日曜日の夜だ。しかし、それはあくまで「できる」というだけで、実際に余りの時間を享受するのは二週に一回程度だ。何らかの予定を入れてしまうのである。

 というのも、何にも投資されずに消費されてしまう時間を惜しいと思う感情が働いてしまうからだ。何かに投資したい。そしてその分の見返りが欲しい。時間を投資し、その見返りをもらうことを中学以降繰り返してきた末路が、時間をお金と同じように投資するものとしか受け取れないこの感覚である。自分の人生経験が、自分の視野を著しく狭めていることがよく分かる。

 

 余りの時間を余りの時間として体験することは、従って私にとって、まれな出来事である。とはいえ、仕事以外の趣味をもたないので、それでも余りの時間は二週に一度くらい発生する。最初は「これを何に使おうか」などと思い、何か使う対象を見つけようとするのだが、幸か不幸かそれは見つからないので、重い腰をあげて余りの時間と直面するしかない。具体的には、散歩をしたり、消化できていない積ん読を二、三冊持って喫茶店に行く。

 すると、8割方気だるい時間なのだが、ふと発見がある。発見とは、自分の外に発見するのではない。中に発見するのである。「そういえば、これはどう考えておけばよかったのだろう?」「よく考えたら、これが、自分の生活の小さな枷になっているかもしれない」等々。

 案外本質的な問題がここから出て来たりするので、前述のように私は基本的に余りの時間を避けようとしてしまうが、一方で避けようとすることがよいことばかりではないことは頭ではわかっている。わかっているのだが、走る車がすぐには停まれないように、どうしても、そこに何かの目的を付与しようとしてしまう。

 

 目的から無縁な時間を、主体的に過ごすのは難しい。能動的に余りの時間を過ごすこと。余りを余りとして享受すること。そのことは、私にとってなかなかに困難だ。しかし、自分の内面に降りていこうとする時間なしに、生が善くなることはありえない気がする。そして、自分の生活は自分で善くしていくしかない。

 生活を善いものとしていくこと。そのことは、大学以降の自分にとって、学ぶことの根本動機だった気がする。

 私が学んだ人文科学はお金にはならない−−−厳密にはこの言い方は間違えで、正しくは「私は学んで来た人文科学をお金にすることに興味はない」のである。実はこれですらもかっこつけだ。私が高校の国語教師の口を見つけられたのはなぜか?もちろん、私が国文学を勉強していたからである。つまり、私は学んだ経験をお金にしている。

 脱線したが、ここで言いたいのは、お金にすることを主たる動機として、文学を学んで来たのではないということだ。善く生きたい。それこそが主たる動機だった。

 

 それでは、「善く生きる」に含まれる「善い」とは何か。その問いの系譜を真摯にたどろうとすると、どうやら私の生を丸々消費してしまうほど時間がかかることがわかった。「善い」とはなにか探求するうちに、「生きる」の方が終わってしまう。とりあえず、その答えを自分なりに練り上げていくしかない。

 そして、それは必然的に不完全なものにとどまるだろう。他の人から見ればあり得ないような屈折や偏見に満ちたものになるだろう。だとすれば、「善い」とは何か、問うこと自体があまりに空虚ではないか。うん、空虚である。虚しい。その虚しさが、哀しい。

 

 

 できることといえば、この虚しさゆえの哀しみから目を背けず、ゆっくりとそれを深めていくことではないか。深まりゆく哀しみが、いつか自分自身の深みへと転化することを希望しつつ、哀しみを「投資」した結果物として「深くあること」を希望してしまう、やはり「投資」に囚われた自分のありように、改めて哀しみを抱きつつ、その哀しみから目を離さず、手を放さずにいよう、と思う。

 「善くない生」をにべもなく棄却することを通し、「善く生きる」ことを獲得することは不可能だからだ。恐らく、この推測は間違いではない。

 

夏休みは8月31日に終わらない

 藤子マンガが好きなのでついドラえもんの話題が多くなってしまうのは許してほしい。のび太が夏休みの宿題に追われている夜の日付が8月31日だと知ったとき、幼い頃の私は奇妙に思った。そんな時期にはとっくに夏休みは終わっているじゃないか。分かりやすいように8月いっぱいは夏休みという設定にしてしまったのか?

 小学生くらいまではせいぜい学校が世界の全てだったから、東北で生まれ育った私には「8月31日」の意味が本気で理解できなかったのだ。日本のほとんどの小中学生にとっては「夏休み」は8月最後の日まで続くのがふつうであり、お盆過ぎには夏休みが終わってしまう我々の方が例外なのだ、ということを知ったのはいつのことだったろうか。

 

 夏休みが長くてずるいとか、短いのは不公平だとか、そういうことは当時から全く感じなかった。その分冬休みが多少長いことも分かっていたし、地域によってそのくらいの差はあって当然だろうと。恨めしいのは、例えば「『夏休み』子ども科学電話相談」と題したラジオ番組が、8月最終週に全国放送で流れる、みたいなこと。その時期にはもう学校が始まってる子供も全国にはいるんだけど、平気で夏休みって言われることに白けた思いがする。

 かつてそういう子供だった私は、ぼくたちは「全国」には含まれないから、「全国」でやってることの半分くらいはぼくたちには関係ないもんな、と諦めることを身に付けていた。お前らは関係ないけどね、と遠くで盛り上がっている様子を見せられているような。田舎に住んでいたらそんなことばかりだから。それでいて、我々が我々の「ふつう」でものを言ったとすると、今度は「北から目線」とかって非難されたりして。

 

 相も変わらず、8月下旬から学校が始まる地方の小中学生なんか存在しないものであるかのように世の中が回っていくのが疎ましい。夏休みは短くていいから、夏休みが短い地方の子供たちも全国の子供たちの一部として扱ってほしいだけなんだ。

それでも男子は赤いランドセルを使えない

 最近のランドセルは色に縛られなくなってよいことだなあなどと思っていた私がバカだった。
 例えば有名メーカーのウェブサイトを見てみると、ランドセルのページはまず「女の子向け」「男の子向け」の二択から始まる。「女の子向け」は赤だったり水色だったり茶だったり紺だったりとカラフルで、かわいらしい刺繍などの装飾も多い。「男の子向け」も黒に限らず青だったり銀だったり色のバリエーションはそれなりにあるが、圧倒的に赤だけは避けられている。柄や模様は入っていないものが多い。
 結局、女=赤/男=黒みたいな固定的な色の縛りがなくなったとして、それはそれだけのことだった。色を介さずに性別の規範が直接デザインに反映されるようになっただけ。女はオシャレで美しくてかわいいものを求めなければならない。男はそのような「女らしい」ものを選んではいけない。もちろん全てのランドセルがそういうコンセプトなわけでもなくて、中には性別を全く意識しないデザインもある。それでも、最初の選択肢は「かわいい女の子向け」か「かっこいい男の子向け」として提示されるわけ。

 

 幼稚園のころ、赤は当然女の子の色でしょ?というようなことを言って、そんなことはないよと母親に返され、納得がいかなかったことを今でも覚えている。たった4年か5年この世で生活しただけで、世の中の規範とされているものは、既に世の中で規範とされているという理由だけで、正しいものとして我が身に吸収されてしまうのだ。そういう常識を疑うことを知るまでに私は十何年か要した。疑えるようになるまでにはまだかかっている。
 おそらく今「女の子向け」のかわいいランドセルを使う男の子は周りに何かしら言われるだろうし、そういったかわいいものを使いたくない女の子は選べるランドセルの幅がぐっと狭くなるだろう。そういう常識になっているんだものな。ランドセルが規範を再生産しているのではないかと思うと気が重い。

 男と女とその中間とがあればいいという話ではなくて、まずそもそも男か女かというカテゴリーを作ろうとするのがいい加減わずらわしい。「女」と「美」とか「愛らしさ」みたいな要素を一本線で結ぶような常識はぶっ壊れろ。男とか女とか関係なく、ただ望む人が望む時にかわいさと結びつけるようになればいいのに。

大急ぎロシア観光 その2:バレエ鑑賞

前:大急ぎロシア観光 モスクワその1 - On the Homefront

 

 当たり前だが、モスクワ市内はどこを見渡してもキリル文字だらけだ。一応ロシア語は初級の教科書を丸一冊習ったので文字は読めるし、出発前に語彙も叩き込んできたつもりだった。とはいえ、そんな付け焼き刃でいきなり読んだり話したりができるようになるはずもなく、移動中の車窓から全てのものを物珍しく眺めながら、目についた看板を一文字ずつ拾ってなんとか解読しようとするのが私にできる精一杯だった。

 

 この晩の行き先はモスクワ音楽劇場。ここで日本語ガイドと別れ、バレエを観る。ロシアといえば舞台芸術、というのもこの旅行の一つの目的なのだ。

 バレエには言語は関係ない。音楽と、体の動きだけ。その動きというのが圧巻なんだ。肉体美! 観ている最中、隣のおばさんが特定の男性ダンサーが出てきたときだけとりわけ熱心に拍手を送っているのに気づいて、彼のファンなのだろうか、でもハマる気持ち分かるなあ……とちょっと思ってしまった。だって見とれてしまうもの、人間の体ってこんな動きもできるんだなあーって。そしてそれがただ体の動きであるというだけではなく、クラシックバレエの形の中で、キャラクターの性格や心情を生き生きと伝えるわけ。

 ……バレエを見ているときの気持ちって、特撮ヒーローを見るときの感じとちょっと近いものがあるとか思ってしまった。着ぐるみや仮面の下で役者の表情は見えず、キャラクターは体の動きや仕草だけで感情の機微を表現する。そして鍛え上げられた体から飛び出す超人的なアクション。こんなの、楽しくないわけないじゃん! こういうのって普遍的に人の心に訴える芸術なんだわ、多分。

 

 最後の幕が下りて拍手が止んだ瞬間、余韻を味わうなどというノンビリした習慣はないとでも言わんばかりに、皆一斉に席を立ちあっという間に玄関へ詰めかける。ここでちょっとトラブルがあった。クロークに預けたはずのマフラーが戻ってこないのだ。何しろものすごい混雑、ゆっくり対応してもらう余裕などない。ちょっと探して見つからなければそれきり完全に放置され、私は焦って言葉が出なくなってしまった。マフラーってロシア語でなんていうんだっけ? オロオロしている間にもどんどん人が流れていく。取り残されて途方に暮れたとき、天使が現れた。

”May I help you?”

自分と同年代かもっと若いくらいの女性だったが、英語で話しかけてくれた人の存在の心強さといったら。単に目の前の相手に言葉が伝わらないということより、周りの人が自然に意思疎通できているのに自分はできていない、その場から切り離されているような所在なさがいかに不安なものか思い知りましたよ。

 振り返って思えば、サンクトペテルブルクではともかく、モスクワで英語を聞いたのはあのとき一回きりだったんじゃないだろうか。とにかく初日は本当にロシア語も何も言葉が出てこなくて、あまりの不甲斐なさにやっぱり一人で海外なんか来るんじゃなかった…と後悔すらしそうになっていたので、彼女のおかげでかなり救われたところがある。いい人はいるし、なんとかなるのだ。

 結局マフラーは最後の最後に人の波が空いてきたところで床に落ちているのが見つかり、無事に手元に帰ってきたのであった。慣れない海外1日目はさすがに疲れた。その日はホテルに着くと、晩飯も食べずに眠りこける。次回につづく。

一人暮らしで迎えた変化

 最近一人暮らしを始めた。当然に孤独を感じる機会が増えた。

 何も家族と住まなくなったことだけが、その理由ではない。いくつかの偶然が重なり、人を避けようと思えばいくらでも避けることができるようになったのだ。

 

 例えば、朝の電車は下り方面に乗ることになったので、やりようによっては、人が数人しか乗っていないような車両を利用することができることになった。通勤の電車に乗っているにもかかわらず、視界から人を完全に追い出せたりするのである。高校一年次より基本的に混み合う電車を利用していた私にとって、これは大きな変化だ。

 また、近くに喫茶店がいくつもあることから、朝起きてすぐ、または夜寝る前に気軽に喫茶店にいくことができるようになった。そのような時間帯は、場合によっては自分一人しか客がいない。

 

 日常生活の中で、一人になれる時間を得ることができるのは尊いことである。実家暮らしで常に私が待望していたのは、一人になれる時間だった。それは、同じ場を共有する人のいない時間を意味しているわけでは必ずしもない。そうではなく、周囲に気兼ねをすることなく、自分一人のことだけを考え、自分のしたいことだけに集中することができる時間ということを示している。実家暮らしにおいて、それは不可能ではなかったが、なかなかに難しかった。

 

 実家暮らしをしていた時には自分の部屋は与えられていた。したがって、扉さえ閉めてしまえば、部屋は私一人になった。しかし、だからといって、部屋の扉さえ締めれば、一人になれる時間を得られる、ということにはならなかった。

 家族が発する生活音や話し声、そして足音は扉を超えてこちらに聴こえてくる。それらに細かく神経を刺激され、絶えず意識の一部をそれらにもっていかれる状況下では、自分のしたいことだけに全ての集中力を注ぎ込むことはできない。部屋にいるのは自分だけだが、意識を向けているのは自分に対してだけではないのである。

 

***

 一人になれる時間ができたことで、私の中にはいくつかの変化が生じているのだが、その一つに、テレビをみたいという欲望が湧き上がってきたことが挙げられる。

 私は実家暮らしではテレビを嫌っていた。それはもう毛嫌いしていた。だから、テレビが欲しいかもしれない、と母親に電話で告げたとき、相当に驚かれたのである。

 

 なぜこのようなことになるのだろう。その理由は、私が嫌っていたのがテレビそのものではなく、自分の意に沿わない雑音を、意に沿わない大きさで、意に沿わないタイミングに聞かされることであったからだ。

 ある時にバカバカしく思う番組でも、それを必要とするタイミングはある。ある時にはうるさい音量でも、ある時には物足りないということがある。家族の基準に合わせ、それらを押し付けられることがたまらなく嫌だった。だったら、無音の方がずっとマシで、テレビなどない方がマシに思えたのだ。

 

***

 自分の意に沿うように周囲の状況をコントロールしたい。そうして、自分のしたいことだけを、したいように十全にこなしたい。

 このようにおよそ社会性とは無縁な志向ばかり上で開陳したが、こういった欲望を持つのは、日常生活の様々な場面で、他人に合わせようとしすぎていることの裏返しであろうと、自分でそう思うのである。

 

 合わせ過ぎることなく、一人で閉じこもり過ぎることなく、なめらかに生きたい。それはどのようにして可能なのだろう。

 

                                    江藤

 

『地獄先生ぬ〜べ〜』における巨乳

( 江藤である。))

 昨日、以前家庭教師をしていた子と艦コレに関してラインしていて、酔っ払っていたのも手伝い「やっぱ胸っておっきいほうがいい?」と聞いたら「胸で決めるようになったら男は終わりじゃないですか?」とか切り返され、色々ひどかったんだけど、そのやりとりの後、「そういえば「巨乳=男が望むもの」という価値観を私はどっから摂取したんだろう」ということを少し考えた。

 

 記憶をたどった末に、最近Twitterで少し話題にもなったが、この種の事柄に関して一番影響が大きかったのはジャンプだな、と思い当たった。

 

 私は長くジャンプ漫画を読み続けてきた。特に『地獄先生ぬ〜べ〜』はゲームボーイにハマる6歳以前から読んでいたと思う。この漫画はなかなかに過激だった。

 ぬ〜べ〜に関しては以下を参照。2014年にドラマ化したらしい。全然知らなかった…。

http://www.toei-anim.co.jp/tv/nube/

https://ja.wikipedia.org/wiki/地獄先生ぬ〜べ〜

 

 まず、この漫画で登場人物の女の子たちは大抵グラマラスなボディを持っている。彼女らが日常生活の中で着替えたり、シャワーを浴びるなどで身体を晒すシーンの描写はしばしばあり、かつまた、彼女らが妖怪の作用により本人の意思とは無関係にお色気ムンムンな雰囲気をまとったり、身体的な魅力を活用して男性の友人たちをはべらすという展開も一定の頻度で見受けられる。

 全ストーリー中もっとも過激だったのは、主人公鵺野鳴介の右手に封じ込められた鬼の妹にあたる女鬼ミンキが登場するあたりではないか。「鬼のパンツはいいパンツ」という歌に現れるように、鬼のパンツはそれを履く鬼に力を与えてきた…というような日本古来の伝承を背景とし造形されたミンキはパンツにより自己の力を制御するということになっている。

 そして、このパンツは、一方で、具体的な攻撃の道具にもなる。ミンキの技であるミンキーパンツは跳躍したミンキが空中で思い切りよく開脚し、パンツを纏った股間を相手に衝突させる形で行われる打撃攻撃である。というと、ラブパニックコメディのようなドタバタタッチを想像するかもしれないが、この攻撃シーンは他の妖怪たちの攻撃シーンと同様、いたってシリアスであった。もしかすると、ひらひらとしたあの無力なパンツをいかにして武器にするかということを作家と編集が真剣に悩んだ結果なのかもしれない。

 ミンキ問題に関してはこのブログに言及がある。パンツをはいていない女ヒロインの導入が当時の読者に対して投げかけた波紋が、筆者の反応から看て取れる。

blog.goo.ne.jp

 

 妖怪に関する場面を離れても『ぬ〜べ〜』では少女の体のセクシーさの過剰や、その逆の欠如は繰り返し焦点化される。ヒロインの一人であるミキはその巨乳を利用してへなちょこ男たちに色目を使ったりするおませな子で、本命ヒロインのキョウコはミキにそのペチャパイを繰り返しけなされたりする。

 乳の大きさを賭け金としたやりとりはこの漫画のギャグパートでも頻出する重要なテーマの一つであると言って良いだろう。小学生にもかかわらず大きな乳を持つミキは、男性の欲望の対象として自分の体を積極的に差し出し、それによって同級生たちからの差異化を測る。が、漫画中の描写で「垂れ乳」が繰り返し現れるように、それはあくまで一定の若さを保っている間しか効力を持たないことが示されている。

 一方ペチャパイのキョウコはガサツで暴力的で、性格としてはおよそ女性的な魅力に欠けるものとして描かれているものの、ヒーローであるヒロシを仕留めるのはキョウコである。

 セクシーな女性の身体の魅力は、愛の強さに負けるという典型的な筋書きであるので、その限りにおいて、この作品が巨乳を無批判に称揚しているものとはいえないが、それにしても、大きな乳を持たない女は身体的魅力に劣るというメッセージは強く伝わって来る。『ぬ〜べ〜』にはまった子供は、巨乳=男が求めるもの、という価値観を持つようになったのではないだろうか。

 

 巨乳問題に関しては、続く。