On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

2017ねん8がつ4にちのにっき

中江です!

 

今日はかつて私が中高生だったころ隆盛を誇った前略プロフィールで多くの人間がリンクに紐づけていた"りある"なる日記(?)サービスで行われていたように(!??)日々を綴ろうとおもう(笑)


さていきなりですが、3日前に病院に運ばれました。正確には運んでもらいました、といった感じ。自分で救急車を呼んで自分が乗ったので……(>_<)


それはまだ日が沈みきってない帰り道、いつものようにバス停の前で音楽を聴きながら今か今かとバスがくるのを待っている時、突然眩暈がし、足がガクガクしてきたので、近くの小道に入り、地べたに座って休憩しました。しかし、体調は回復せず、意識が若干朦朧としてきて、このままではまずい!とパニックになりました。泣


なぜ、急に失神の恐怖にとらわれたかというと、去年のちょうどたしか今日に、実際意識を失って倒れるということがあったからです。その時はバイト先で急に悪寒を覚え、慌ててトイレに行ったら胃液のようなものをひたすら吐き続けヤバいと思って、直属の課長に電話をして助けを求めたところでホワイトアウト、そのまま気づいたら病院という事態でした。汗


そのときの感覚がフラッシュバックしたのでしょう。私は自分のために救急車を呼んでしまいました。私は自分のために救急車を呼んだことのある人間、私は自分のために救急車を呼ぶ側の人間になりました。(完)


詳しくは述べませんが、インターネットを見ていると、このような自分を助けるために公的な誰かを使う権利を(ためらいなく?という印象を与えるのでしょう場合によっては)ためらいなく行使する人間に、乱暴な言葉をぶつける感じはけっこうあります←


優しい言い方だと、「それ絶対必要だった……?」「本当に困っているなら仕方ないけど」絶対必要!本当に困っている!ということはどういうことなのか、ぶっちゃけよくわからない〜的な態度もおおいに叩かれうるし、そうなの!と断言しても、傲慢だとかプロ活動家のレッテルを貼られるかもしれませんし、そういう優しい人には優しく対応するのがいいっていうか、なんていうかセオリーっぽいですよね……。どうしよう。むずい。あと、誤解を恐れずにいえば、生活保護は不正受給にかかる枕言葉っぽいとおもう。(大嘘)


なんか疲れました。爆


夏バテ気味なのかな?笑笑
まあそういうことにしておこう……()


いろいろ書きましたが、ゆっくり休もうと思います‼︎
とりま、おやすみなさいー(u_u)

 

 

 

中江

日本の伝統的な世界観と名高いハレとケの精神

 

古来より、日本人は日々暮らしている日常と、冠婚葬祭や年中行事といった非日常を分けて生活してきていて、そして、それを「ハレ」と「ケ」というふうにいいます、的な文章はけっこうよく見る。

 

実際「ハレとケ」という言葉は、誰かと喋ったりしても、不自然なくらい案外耳にする機会もある言葉なような気がしませんか、と思う。というのも会話の中で「ハレとケって言いたいだけなのでは」というシーンも人生のなかで何度かあったし、自分も一時期好んで強引に使っていたような気がしないでもないし、なんとなく口に出すと楽しいような、みたいな感じな言葉な気がするかもしれない。

 

例えば、分裂症的な思考にたって考えたら、言葉のシステムに参入できるプロデューサーによって推されてるとしか思えません。(運営のお気に入り)

 

思い出してみると小さな頃から、地域のお祭りとかに行っても、日常から解放されていると思うわけではなかったし、むしろ好きな漫画の発売日(そのあと友達とその話でおおいに盛り上がったりする)の方がそんな感じだったから、その感覚がわからないだけだとは思う。祭りやイベントは、外から決められてもともと絶対的にあるから誰かと共同することが前提になるものではなく、感覚とか趣味とか気持ちで勝手に選んでみたら結果的に誰かと共同しているというものと、自分にとってはいえそう。

 

(あくまで漫画の例でしたが、好きなアーティストのコンサート、足繁く通っているお店でのイベント、◯◯◯◯生誕祭などでも、同じだと思う)

 

ソーシャルゲームのイベント開催期間が気づいたら終わってて、ショック‼︎といった感じで日々を生きたりしていると、ハレとケは、ヤバいこれ神イベントきてるわ、とか、また月曜から社畜生活だ……という話なのかな、と思う。

 

 

中江

大急ぎロシア観光 モスクワその1

 この3月、初めてロシアに行った。
 突然思い立って1カ月くらいで準備して、わけもわからないうちに行って帰ってくるという慌ただしい一人旅だった。パスポートすら持っていなかった私がこうも急に海外旅行に行こうと思ったのも、一番の動機はロシア音楽にハマったからだ。もともとクラシックが好きだったんだが、ムソルグスキーに本気でハマってしまい、熱意のままに作曲家ゆかりの土地を訪れることを決めたのだった。
 モスクワとサンクトペテルブルクにそれぞれ2日ずつ滞在するだけ、という大慌てのスケジュール。私にとっては初めて足を踏み入れる大陸でもある。せっかくなので、かいつまんで思い出話を書いてみることにする。

 

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 モスクワは暗かった。というのは性格とか気運の話じゃなくて、物理的に明るさが少ない。
 まだまだ冬と言えるような季節だったし、吹雪いていて天気が悪かったのもあるけれど、まず屋外が暗い。薄暗い。そして屋外から見える建物の中も暗い。本当にこの中に人がいるのか?と思ってしまうほど、どの窓も暗い。宿泊先のホテルも暗い。ロビーの照明が暗い。朝も夜も暗い。どこに行ってもムーディな雰囲気というか、怖いというか、日本が明るすぎるだけなのだろうか、とにかくモスクワは暗かった。

 それから、モスクワはでかかった。確かにロシアはでかい。にしても、首都だけでその国土の大きさが分かったような気になってしまうほど、まずモスクワ市の面積が広い。そしてその市内にあるありとあらゆるものが大きかった。道路に面したマンションはどれも威圧感を感じさせるような年季の入った建物で、しかもこれだけ大きな建物がドンドン建ち並んでいるのに、空が限りなく広い。
 ロシアの空は埋まらない。日本のようにそこらじゅう山や海に囲まれて暮らしているのとはわけが違うのだ。どこまでも大地。広すぎる空の果ての方で、大地と街がグラデーションになって溶けているのがなんとなく見えるような気がする。
 ホテルの客室から見た風景も暗くて、でかい。初めて訪れるこの国の印象をばっちり固めるにはそれだけで十分だった。ここはロシアだ!!

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 そんなモスクワを自動車で移動したわけだが、とにかく道路の渋滞がすごい。みんな車を使いすぎだとガイドさんも嘆くほど、モスクワ市内は常に渋滞しているらしい。そしてちょっと道が空いたとか思うととたんに7、80キロでかっ飛ばし、そのスピードのままぬるぬると車線移動する。こんな隙間に入るのかと思うほどスレスレの隙間を縫うように走る。絶対に遠慮はしない。運転が荒いのはこの国だからというわけではないのかもしれないが、東京の路上教習ですらうんざりだった私は、後部座席に乗っているだけでいつ事故に遭うのかと気が気でなかった。
 それからもう一つ、モスクワの道路を走っている車は例外なく汚れていた。これは私にも理由が分かる。北国の春は雪解け水を跳ね散らかしてどこもかしこも汚くなるのだ。

 

 行きの飛行機が遅れていたので、初日はただでさえ忙しい日程がますます超特急の観光になった。モスクワ市内の主要な観光地を回って、あっという間に夜。次回につづく。

同じことを誰が言うかによって意味が変わる


中江です。

 

二週も休んでしまいすみませんでした。
これからは更新、がんばりたいです。

 

今日は、前回の続きではなく、最近考えていたことについて書きたいと思います。まあ最近考えていたといっても、実際大学に入ったあたりからぼんやりと思っていたことのような気がするのですが。とにかく本題に入ります。

 

それはタイトルにあるように「同じことを誰が言うかによって意味が変わる」ということです。

 

例えば、気心の知れた友人が「体調悪いかも。ちょっと席外すね」と言った場合、それまで共に過ごしてきた時間から、自然と愛着が込められたかたちで、「大丈夫?なにかできることある?」などと声をかけることになることが多いのではないでしょうか。そこでは身体の不調であるということはおよそ疑うべきことではなく、またそれに対して負担を多く感じることは稀ではないでしょうか。あるいは、その友人が身体が冷えやすい体質の人とわかっていて、その時冷房が効いている部屋に一緒に居たら、クーラーがキツかったのかなと思い「大丈夫?寒い?」などと言うのではないでしょうか。しかし、飲み会などで30分くらい前に知り合ったばかりの人でそれほど会話が弾まない感じの人が同じことを言ったら、どうでしょうか。きっと体調が悪いかもしれないけれどぜひ自分でなんとかしてください、と思ったり、なにかした方がいいのかもしれないと思うけどちょっと面倒だな、と感じたり、あるいはそもそも私と話をするのが退屈でただ離席したかったのかな、と疑ったりするのではないでしょうか。

 

あるいは別の例としては、ある著名な学者が時事問題についてシンポジウムかなんかで意見を述べていたとします。そして、それと一般的な意味で同じ内容のことを無名な大学生が喫茶店で連れ合いに語っていて、それが周囲の人にも聞こえるくらいの声量だったとします。そのとき、シンポジウムに聞きにきた人はその学者の言ってることを概ね肯定的に、少なくとも意味のわかることを言っているはずだと思って聞き、多少説明が込み入っても、煩わしさを覚えることなく、最後まで聞ききり、場合によってはその内容を理解したことを誇らしく思いながら「理解」したりするのではないでしょうか。一方、同じ人がある時喫茶店に言って大学生の持論が聞こえてきたとき、性格、気分などによって態度は様々でしょうが、わざわざ知らない人の持論を聞きにきているわけではないので、ほとんどの場合単にうるさいなと思って終わりでしょうし場合によってはかいつまんで聞いてなんとなくの内容を「理解」して熱心な若者もいるんだなとちょっと感心したり、あるいは特に感銘を受けたりせずにどうせ若者が言ってることだしこんなもんかと感じたりするのではないか、と思われます。

 

長くなってしまいましたが、これは極めて当たり前のことのように思えます。受け手にとっての伝わり方は同じ言葉でも異なり、それは言葉の意味され方が異なるということなのでしょう。同じ言葉でも情報としての入力のされ方は決して一つではないということは経験的に言って自明に思われます。それではなぜ私は長々とおそらくみなさんにとっても当然のことを書き連ねてきたかというと、文科三類に入学したときの私は、当時の私がノートやツイッターで書き散らしたものを読む限りはたしかに「あらゆる等しい言葉は等しい意味を持つ(はずだ)」と思っていて、しかし翻って今の私はタイトルにもつけているとおり「同じ言葉を誰が言うかによって意味が変わる」というふうにはっきり思うようになってきています、そうなるとこのままではかつて「あらゆる等しい言葉は等しい意味を持つ(はずだ)」と真剣に考えていた私のことを私は近々思い出せなくなるだろうと思い、消滅の予感から、せめて供養してあげられたら、と感じたからです。


中江

「第三外国語」の楽しみ方

 ブログの説明にもある通り私は第二外国語にドイツ語を選んだわけなのだが、大学にいる間には最終的に15くらいの言語をやった。それなりの興味を持って積極的に学んだ言語もあれば、文字の読み方すらろくに覚えず終わったものもあるが、少なくともそのくらい、授業で習うことには習った。

 私はできるだけ多くの言語に触れることにこだわっていた。それには一応、目的のない好奇心以上の理由があって、私はできるだけ日本語を相対化して見たかったのだ。

 

 まあ要するに私は語学が好きだったので、一時期は第三外国語の授業を大量に履修していた。

 第三外国語、というのは半分くらい嘘だ。まず面倒なのは言語の数え方で、私は「15カ国語」を習ったわけではない。すなわち、アイヌ語や日本手話は「外国語」ではないからだ。日本語では言語を数えるのに「国」をはさむ単位でしか言えないということが、だんだんじれったく思えてくる。

 さて、私は語学のどこが好きなのかというと、文字の読み方や発音を学ぶときが一番楽しかった。日本語にない音(というか、だいたいの音は日本語にない)を聞いて真似して自分でも出せるようになるのが楽しかったから、これだけいろいろやってみる気になったとも言える。そういう意味で、中国語は相当楽しんでやったし、ポルトガル語はそこまで好みではなかった。

 一方、文法や語彙の習得は嫌いというわけではないが格別好きとも言えなかった。まあ「真似して自分も出せる」ようになるのが発音だけとは比べ物にならないほど複雑で難しいので、当たり前といえば当たり前だ。だから習った言語が多少なりとも実用レベルで身についているかというと、現実は簡単な読み書きもままならないものがほとんどということになる。

 まあ、それでもよかったのだ。最初から私は全ての言語を話せるようになりたくて語学の授業を取っていたわけではなかったのだから。いろいろちょっとずつかじって楽しければそれでよかったのだ。できるだけ多くの言語を広く浅くなんて贅沢、それこそ大学でやらなければいつやるのだ。

 

 実際のところ、当初の目的――日本語を相対化して見るということ――が達成できたかというと、これは語学の授業でどこまで実現できたかはびみょうなところである。現実には大学の教養で選べるような授業にはそうそう変わった言語もないわけで、せいぜいヨーロッパの人間がヨーロッパの言語を数カ国語話せるというのと、日本語母語話者がヨーロッパの言語を数カ国語話せるというのは、難易度が段違いの話である、ということが分かったくらいなのであった。とはいえ、それを知識としてだけではなく実践的に知ることができただけでも、手当たり次第に語学をやった価値はあった、と言っちゃいけないだろうか。

 

 ところで、そもそも入学前にドイツ語を選択しようと思った動機は何なのかというと、はっきり言って半分くらいは「サイボーグ009」を読んでドイツ人が好きだったからだ。ミーハーな動機が強烈にあったおかげで、二外の選択に関してはほとんど迷わなかった。結果的にクラスの雰囲気も良かったし、英語の次に学習する言語としてドイツ語はやりやすかったし、この選択は悪くなかったと思う。一時の熱に浮かされて深く考えずに選んだにもかかわらず後悔していないというか、だからこそ後悔していないというか、どちらなんだろうか。

「ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。」

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 大学の学部生だった時に、数人の家庭教師をやっていた。その中に、今でも継続的に付き合っている生徒がいる。もう僕は「教師」ではなくなり、彼は「生徒」ではないのだから、僕にとっては年若い友人だ。

 昨日彼と喫茶店で喋っていた時に、印象的だった下りがあった。とても温厚な彼が、最近例外的に怒ったことに関して。それはこんな具合である。

 

 ある日、年下のいとこ(女の子)に会いに行った時のことである。彼は、彼女が、彼女の母親、従って彼にとっての叔母に、事あるごとにお辞儀をすることに気づいた。

 それを奇妙に思った彼は、なぜ親にお辞儀をするのかと聞いたという。すると、彼女は、両親というのは敬うべき存在であるから、そうするように学校の先生にならったといったらしい。

 

 彼のいとこの女の子は、中国で教育を受けている。儒教のバックグラウンドを持つ国の教育だから、そのように年上の人を敬う動作を、やや過剰に要求する保守的な教員もいるのだろうと、そう思いながら僕はふんふん話を聞いていた。

 

「生まれたくて生まれたわけじゃないじゃないですか。」

 これが、彼の怒りを喚起したらしい。その場ではそれ以上話を深めず、帰路についたが、中国から日本までの飛行機の中、そのことについて考えれば考えるほどおかしなことだと思われたため、普段滅多にしない電話をわざわざ中国につなぎ、いとこに説教をしたという。

 

子供って生まれたくて生まれたわけじゃないじゃないですか。基本的に、親が欲しくて産んでいるわけですよね。だから、子供の世話をするのは親の責任であって、敬うとか、恩返しとかとんでもないと思うんですよ。

 

 確かに、と僕は思いながら聞いていた。同時に、私が元「教師」であることもあってか、自分の意見を私に対して強く主張することのあまりない彼が、思いがけずやや強い口調でその論理をまくしたてたのには驚いた。

 本当は生まれることのなかったものを、この世に産み出してしまうこと、そこに潜む親のエゴ、産みの暴力。「へえ、そんなこと考えるようになったんだ」といつまでも「教師」目線で評価を与えてしまう自分を、やや不快に感じながら、一方で僕は素直に感心していた。感心しながら、また正体の不明な動揺を自分の中にさぐり当ててもいたのだ。

 

「死にたくはなくって。」

 その動揺がどのような性質のものか、はっきりと掴めない数秒間のあと、僕は振り返ってみれば自分としてぎりぎりの、しかし発言した当初においては、何がぎりぎりなのかよくわからない発言をしたのである。

 

生まれたくて生まれたわけじゃないというのは本当にそうだね…。そしたら、でも、生まれたくないと思っていたかどうかも、わからないよね。生まれてないわけだから。

私がその時に戻って選択できたら、どういう選択をしたんだろう。そのときにどう思うだろうかなんて、そんなこと考えること自体、意味ないかもしれないけど…。だって何も考えられないわけだし…。

 

 すると彼はしばらく眉間にしわを寄せて考えていた。中学一年生の時の家庭教師初日、彼を小さな部屋に見出したときの、「中肉で、背はとても高いのに、俯き加減だからか、線の細い子だな」という印象は、ここ数年ですっかり覆り、依然少年らしい丸みを帯びている一方、はっきりと角ばりの契機を見いだせる、首筋から肩にかけての、改めて見ると想像以上にがっしりとしたラインを、僕は触るように目でなぞっていたのだ。

 彼はこう返した。

 

ただ僕は、死にたくはないと思っているんですよ。死にたくはなくって。

 

 この彼の返答に僕は満足した。そして、その前の僕の発言が、「生まれたくて生まれたわけじゃない」から、「本当は生まれたくなかった」という風にして、死に向かっていくのではないかと、それを危惧してのことだったとすぐに理解された。「生まれたくて生まれたわけではない」は「生まれたくなかった」とイコールではない、「生まれたかった」わけではないけれど、「生まれたくなかった」わけでもない、と言いたかったのだ。

 

「ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。」

 大学二年生の時、僕がちょくちょく顔を出していたゼミの先生が、退官記念講演の場において、僕を含めたゼミ生に言った言葉を思い出す。

 

僕は君たちに幸せに生きていって欲しいと積極的に願うことはない。そうであったら嬉しいし、一緒に喜ぶけれども、別にそうでなくても構わない。不幸でもいい。ただ、生きていって欲しい。死なないで欲しい。

死ぬことが常に悪い選択か。客観的に言えば、そうだとは思わない。死を選ばざるを得ない状況はあるのかもしれない。そこで、「死ぬな」というのは、場合によっては残酷かもしれない。

だけど、僕は僕のエゴで、君たちに「不幸でもいいから、死なないで欲しい」と、そう思う。君たちが死ねば、僕は君たちと、一生話をする機会を失うのだ。それはなんということだろうと思う。

 

 本当は死んだ方が楽な場面で、「死ぬな」と叫ぶのは叫ぶ主体のエゴでしかない。そう叫ぶ理由は、「「私が」死んで欲しくないから」という風に、叫ぶ主体と切り離せない形でしか提示できない。

 「生まれたくて生まれたわけじゃない」に対して、僕は何よりも、「君が生まれてきてくれてよかった、そうしてこうして話ができていること、それが僕には、本当によかった」と言いたかったのだ。

 いくら、「僕が」そう感じるからといって、それは彼にとっては全く関係のないことだ。全く関係のないことだが、僕のエゴとして「君が生まれてきてくれてよかった」と思い、また、「死んで欲しくない」と思う。なぜなら、「僕にとって」君がどこかで生きていて、気が向けば話をすることができるということが、重要だからだ。

 

 教師の言葉をここで思い出すあたり、僕はやはり、彼を「教師」の目線から見ているのだろう。教えることも一つの業だ。なぜなら、僕はこのように、「生まれたくて生まれたわけではない」彼に対し、彼を産み落とした両親と同様生きることを要求する側に回っているからだ。

 

僕のエゴ

 教えることだけではなく、人間として関係を切り結ぶこと自体が業かもしれない。

 

www.bengo4.com

 

 大学一年次、上の記事で書かれている飲酒事故でなくなった友人の葬式でわあわあ泣いた僕は、けれどもまた、人が生を送り、やがて死を迎えるというこの行路に対し、異議を申し立てるかのように泣くことの自分勝手さを感じなくもなかった。

 僕が「死なないで欲しかった」と思うこと、それは完全に僕の事情じゃないか?

 

 基本的に自分勝手な僕が、最も自分勝手になるのは、友人に対し、家族に対し、またはまだ見ぬ無数の人々に対し、「死なないで欲しい」と思う瞬間かもしれない。そして、僕はその自分勝手さを積極的に解消しなければならないとは全く思わないのである。

 残念ながら僕は自分勝手だけど、それでも付き合ってくれる人たちに本当に感謝するし、愛おしいと思う。

 

 

地方コンプレックスが強すぎてつらい その2

 こちらの続き。

queerweather.hatenablog.com

 ここで私はあえて「田舎」という言葉を使ったけれども、これは具体的に人口が何人以下とか、この施設がないとかあれがないとか、その内容を詳細に定義してもこの際意味のないものだと思っている。田舎とはそこにいるものの意識の問題だ。

 私は自分の生まれ育ったところが田舎だと思っている。このブログで私は一番最初に、属性を分断するような考え方は嫌いだと言ったばかりなのに、早速こうやって「田舎」と「非・田舎」を二項対立的に配置しようとしているし、その中で自分は確実に「田舎」の側に属している、とさえ思ってしまっている。

 

 ものすごく乱暴に言うと、東北の人間は、東北地方は日本の中で最も「田舎」であり、価値が低く、遅れていて、何もないつまらない場所なのだ、と思って生きているのだ。

 「まだ東北でよかった」などという誰かの発言も記憶に新しい。これを誰がいつどういう意図で言ったかという個別の問題は置いておくとして、この件をニュースで聞いたときに私が感じたのは、悲しいとか憤りというよりも「またか……」という絶望感だった。発言自体にというよりも、そういう発言をついうっかりできてしまえるような土壌がそもそも存在することに、絶望感を覚えたのだ。

 東北地方は重要性が低い、ということは、現地の人間にもそれ以外にも、悪意なく、さりげなく、確実に刷り込まれている。もちろんこれは冒頭で述べたように、実際にその土地がどの程度の重要性を持っているかという具体的な問題ではなく、そういう意識が共有されているという話である。東北は、自分たちは他地域から田舎だと思われているのだ、という意識の強さにおいて、確実に田舎だ。

 

 フィクションの中で、野暮で愚昧でぶっきらぼうな田舎者のアイコンとして、東北方言を模した役割語がどれだけ普及していることか。もちろん「標準語」に対して地方語が過剰にキャラクターを強調した文体として使われるのは、別に東北方言に限ったことではない。それでも、九州方言(のようなもの)を話すかわいらしい女の子や、関西弁(っぽいことば)を使うスマートな青年がありふれているようには、東北方言(らしい口調)は登場しない。必ず、蒙昧で洗練されない色がつく。今時ネイティブアメリカンのキャラクターに「インディアンウソツカナイ」みたいな片言をしゃべらせるなんてことは誰もしない、そういう共通理解はあっても、東北出身の人間や、あるいはどこか宇宙の田舎から来た生物に「東北方言らしきもの」をしゃべらせて笑いを取るのは普通の表現手法というわけだ。

 逆に、フィクションもノンフィクションも、何かがある、あるいは何かがあるということが話題になるのはいつも東京だった。ヒーローはだいたい東京にいるし、ふつうの男の子や女の子が住んでいるのも東京。そして例えば、東京っ子のスネ夫は自分の手に負えなくなった「ペット」の岩を、はるか辺境の地である青森に捨ててくる(てんとう虫コミックスドラえもん』第37巻「かわいい石ころの話」)。小さい頃から、東北の地名が取り立てて物語に登場する場面といえば、そういう例ばかり見せられてきた。

 

 誰も東北の人間に面と向かってお前は田舎者だ、とバカにして言うわけじゃない。だけど、東北に田舎という価値付けを行うことはずっと変わらず、当たり前にされているまま。だから、「まだ東北でよかった」と言われて、まあしょうがないよね事実だもん、と東北の人間自身が納得したとしても、当然のことだと思う。否定するには、あまりにもそういう考え方に慣れ親しんでしまっている。

 私が実際に東京に住んで分かったことは、本当は東京には何でもあるというわけではない、なんてことではない。地方にあるときはあれほど中央の存在を意識せずにいることはできなかったのに、中央にあっては地方などいともたやすく意識から消え去ってしまう、ということだ。これだけ鬱屈とした気持ちを溜めこんできたはずなのに、東京で暮らす人間の一人として生活していると、いかに東京の人間が東京≒日本だと思い込んで暮らしているかということを忘れてしまいそうになる。全国メディアのトップニュースが東京のローカルニュースでも何も驚かなくなる。地域ギャップの再生産に加担すらしてしまう。だから、東京には本当になんでもあるのだ……もとい、東京にあるものしかない、ように見えるのだ。

 

 もちろん、だからといって私は東京になれるわけではない。前回の話の通り、非・田舎で生まれ育った人との間に分断を感じずにはいられなかった。私は何も知らず、何も持っていなかった。ただ、それは私が悪いんじゃなくて、私の生まれが田舎だからなのだ。正確には、東北が田舎だから悪いのではなく、東北に田舎というレッテル貼りをする非・田舎があるから悪いのだ。そしてそう考えるとき、私は既にその田舎というレッテル貼りを受け入れてしまっている。東北の人間である私に染み付いた田舎根性はもう剥がれない。

 地元東北に対して過剰に卑屈になりたがり、そのくせ他地域から軽視されることにはえらく敏感で、東京は何でも持っていていいなあと羨ましく思いながら、持てるものの傲慢さを攻撃してしまう。ねじくれた地方コンプレックスだ。

 東北が、東京がと言ってきたけれど、それはたまたま私がそこに住んでいたからその地名を挙げただけで、例えば横浜にはコンプレックスを感じていないのかとかそういうことを議論したいわけではない。他の地域の方で、東北なんか田舎で当たり前なのに今更何を、と思う方がいるかもしれないし、あるいは俺の地元はもっと田舎だ、と思うことがあるかもしれないが、いずれにしろ「田舎」と非「田舎」にギャップがあるという事実を補強しているだけだ。私はギャップをなくしたいのに、この問題に限っては、どうしてもその考えを捨てることができない……

 

 最後に、ちょっと気に入っている本があるので紹介したい。増井元『辞書の仕事』という岩波新書の一冊。この本、第4章の「不適切な用例」という節の冒頭で紹介されている事例が、もう大好きで仕方ないのだ。

 岩波国語辞典の「くんだり」という項目の中に「青森くんだりまで来た」という用例があった、という話。辞書を引いた地元の中学校の先生から丁寧な手紙が届いて、編集部一同「胸のふさがる思いにとらわれ」たという。

 読んだとき、もういっそ、してやったり!と思いましたよ。あーやっぱり俺の被害妄想じゃないんだ、事実なんだ、言質とったぞって。東北が田舎だっていうことは、辞書を作る人も誰一人そのことに気がつかないで載せちゃうくらい、当たり前のことなんですよね。辞書を引く人間の中に青森の人間がいるなんて誰も思わないくらい、どうでもいい土地って思っていただいてるんですよね。例に挙げられたのがまだ青森でよかった。

 

 私、地方コンプレックスが強すぎて、つらい。