On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

kentz1さんの退職のこと、その他

 江藤です。昨日友人と長々と電話しました。タイトルにあるとおり、kentz1さんの退職のことなどについて。kentz1さんの退職エントリに関しては以下です。

note.mu

 

 私も友人もkentz1さんと同じ年に同じ大学に入り、しばしばkentz1さんのツイッター上の動向に注目してきたのでした。常人並に就職したことにも驚いたけど、今回のように「本当のこと」を求めて退職されることになった運びにも驚きました。私はそのことを一つの発端として、しかし事実に寄り添う形でなしに、適当に虚実織り交ぜながら別のブログで以下のとおり書きました。事実に寄り添う形でないように書いたのは、私自身がkentz1さんの構想につき把握しきれていないから。それについて書くことは、私自身の想像力と不可分なものであると考えたからです。

summery.hatenablog.com

 

 「本当のこと」については上の記事に譲るとして、ここ一週間ほどで都合三人ほどの大学時代の友人たちと、彼の退職について、どちらから切り出すともなく、電話を介して話をしたのでした。良くも悪くも、このことは、私たちの間の共通経験として長く記憶されることになるだろうと思います。

 それにしても、退職、そしてその後の進み行き、本来は極私的な事情であるはずのそれらが、このように衆人環視の元に置かれることにより抱えてしまう困難の大きさを思わずにはいられません。本人が選んだ道といってしまえばそれまででしょうが、twitterという自己開示の装置の魔力は大変なものだ、という話を友人としました。また他方で、「ヒモ」となるのも、それほど楽ではないだろうに、ということも、これは主に私から友人らにポツポツと伝えたのでした。自分が「本当のこと」を求める若者にお金を出すとしたら、やはり大きな期待をしてしまうだろうから。もちろん、企業社会で働くのも十分大変ではあるので、どちらを選ぶかという話に過ぎないのですが・・・。

 

 

 今これをマックで書いているのですが、先ほどから繰り返し、半透明のついたてで見えなくなっている向こう側の方から、「結局北朝鮮のおかまなんだよ、壁に耳あり障子に目ありって。全部つながっている。2002年という時期もやろ」とまくしたてる声が聞こえてきます。声変わり後も比較的高い声に落ち着いた中学生とでもいった趣の、自信を持ったその説得の声は傍にいる気の弱そうな女性にでも向けられているものかと、ふとトイレに行くふりをして確認すると、ひたすらに独り言を言っている人でした。それも見た感じは50を超えるくらいの年で、嘘寒くなりました。

 時折マックではなまなかでないものとエンカウントします。最近他に見たのは、一人ポツンと日曜の夜に何時間も粘って、机の下のビニール袋に隠したワンカップをちびちびと飲み、かつは居眠りをする老人。確かにマクドナルドはお酒はでないけれど。

 平成最後のクリスマス・イブに、相も変わらずマックの席で、北朝鮮のおかまについて説得する声を聞いている。少し興味があるし、彼も聞いてもらいたいのだろうから、話を聞けば色々語ってくれると思いますが、まあ、控えめに見て数時間かかりそうなので、遠慮。

 確かに私の生活も「本当のこと」からは程遠い、と思う。

 

 

 


世界の終わりでアン・ドゥ・トロワ、あなたの脳内に直接話しかけています、私は行きませんが…… インターネット時代の絶望(インターネット時代の絶望とは言ってない)

 私たちを襲う虚無は、初めは「何やりゃいいのさ」という衒いのない戸惑いのようなものだったという。それはもしかしたら言語ゲームに参入する際、神経生物学的インフラとして各人に備わっているパラメーターとしてのエネルギーが無意識的に供給されているということの証左であり、ひょっとするとこんなものすら私たちは恩寵として受け取らなければならないのかもしれない。そう思うと途端に気疲れしてくる、なんてことも私たちのなかのセンシティヴな個体においてはありえるかもしれない。センシティヴというのは、社会的な弱さのことである。私たちのなかのいくつかは教育ないし条件付けによって、そういったセンシティヴの目を育てることを個体的進化だと考えているのだ。

 

 コミュニケーションのコミュニケーションによるコミュニケーションのための……。何だろう。しかし、それは不可能だ。という具合の内言、あるいはコミュニケーション自体によって生じる気疲れは、物理的な摩耗でもあったことに気づく以前から、私たちのうちの一部は、「身体」(考えられる別答として「精神」では×。「存在」では△をつけるというのが採点基準になっているはずだ)に器質的な異常、医学の文脈で言えば治療対象を生じさせている。

 

 生老病死の四天王のなかで最弱は誰だろう……。ゲームなのだから、エンディングを見る以前にそういうことが問題になってくるのだと思う。しかし、ゲームではないらしいという話も聞く。ダブルバインドだ。私たちの中の例外者は、徐々に徐々に、生活がわからなくなっていく。炎上、バズ、賛否両論、様々な意見が上がっています。疑問の声も上がっています。

 

 社会は私たちの総体で成立していると定義して、私たちのなかの私たちの方が社会の成立に参与していないと仮定した時、私たちのなかの別の方によって社会は成立しているということが導かれる。しかし、社会が成立しているとはどういうことか、社会は「本当の意味で」成立しているかは、現状では分析が及ぶ範囲ではなかったため、今後の課題とする。

 

 この文章は私たちの提供でお送りいたしました。

 

 私たちはこれまでもそしてこれからも私たちを応援しています。

先生の思い出

中高時代お世話になった教諭が亡くなった。先生の訃報が私の耳に入ったのは、私の端末の液晶上に突如現れたグループラインによってだから、目に入ったという表現の方が、事実上は正しい。

 

 私の通っていたのは中高一貫校の私立でついでに言えば別学だった。最近姉妹校と合併して共学化するのではないか、という噂があるが、私が在学していた頃から学校について時代遅れだ(もっとも、それはほとんどトイレだとか建物設備とか学年旅行で私立のくせに海外に一回も行かないとかそういう具体的な所に対する不満)とかいう声を同級生が口にするのを耳にしたし、いよいよ戦後なりのイデオロギー、もはや誰に対してのものなのかよくわからないエリーティズムが立ち行かなくなっているだろうことは、先生方が一喜一憂なさる毎年大学合格実績の降下ぶりからもわかる。

 

 先生は国語科の教諭で、私たちの代の担任陣の一人だった。私は担任を持っていただいたことはなかったが、6年間ずっと現代文か古文か日本語表現かいずれかの科目を教わった。先生との個人的な思い出は、中2の頃に授業中挑発的な態度を取っていたら激怒されて机ごと追い出されたとか、中3の時に期限ギリギリでやっつけた自由研究のレポートを「これは研究どころか(読んだ本の)まとめとしても不出来です」というコメントを書かれたとか、高3の頃に委員会活動の用で教員室を頻繁に出入りしていたところ嫌味な笑みを浮かべて受験勉強もしようねと小言を言われ続け、そして合格報告した時には「君が受かるとは思わなかった。受かっちゃうんだねえ」とまたもや嫌味を言われたとか、振り返ってみても、年長者としての余裕、そして教師としての教え子への温かい眼差しを感じさせるものばかりであった。

 

 さて、こんな嫌味を言うために私は超超久しぶりのブログ記事を書き始めたのではありません。

 

 

 図書館で借りた小田実『何でも見てやろう』を読んでいて、やにわに先生のことを思い出した。

 

「むすび・ふたたび日本島へ」の一部を引用する。

 

 しかし、私はひらきなおって言うが、たとえそれがそうだとしても、他にどんなありようがあったのか、また、あるのか。インドもまた、いつかは二代目、三代目の時代になっていくのであろう。中近東も、アフリカ諸国もまた。歴史の歩みを逆転させることはできないのだ。としたら、われわれにできることは、またしなければならぬことは、先ず自分の位置を、たとえそいつがわれわれ自身にとってもお気に召さぬものであったとしても(たしかに、そうであろうが)、だから日本はダメです、われわれはアカンのです、というふうに否定的に持っていくのではなくて、それを、とにかくわれわれはここにいる、よかれあしかれここから出発する、ここから以外は出発するところがないのだ、というふうに肯定的に捉えることではないか。すでに述べたように、たとえば、中近東諸国やインドの現状がたとえ腐敗と貧困に満ち満ちたものであろうと、彼らがそこから出発する以外手がなかった、また今もって、そうするよりほかに手がないように、われわれもまた、たとえ「悪ずれ」のしたものであろうと、このギリギリのところから出発して行くべきではないのか。

 

 私はこの文章を読みながら、かつて毎日通っていた教室で現代文の試験を受けているような気分に突如なっていた。懐かしい気持ちになり、どんどん妄想は膨らんでいった。先生は、きっと末尾の「悪ずれ」に傍線を引き、「どういうことか説明せよ」という問いを出すだろう。前の段落に遡って、どのように「悪く」どのように「擦れた」ものかをそれぞれまとめた記述を求められることだろう。そして、返却される答案に付される解答解説には「驚くほど出来が悪かった」といった趣旨のコメントが添えられていることだろう。

 

 国語の先生がたはよく雑談をしてから授業を始めていかれたものだったが、先生はよくその時読んでいる新書の話や自身の中高時代の話をされていた。それはカリキュラムに沿った授業、効率的なテクノロジーによるディープラーニング人工知能を駆使した授業ではない授業、もしかしたら余裕のない雰囲気では生まれづらいものだしマニュアル化不可能な授業であり、しかし、そこに教育的情熱というと言い過ぎな気もしてしまうけど、生徒の反応を期待する先生の創意工夫のある、人間的な時間であったように思う。ある時、先生はかつてを振り返り、「高校時代に級友と談笑するなかで自分には音楽を聴いてそれを楽しむ耳を持っていないと愕然として、それならばと思い、本を1つの本から関連しているものを芋づる式に読み漁るという読書をしていた」と、語っていた。

 

 私より三十くらい上の、国文学の修士号を引っさげて進学校に赴任した読書家の先生はきっと、小田実加藤周一鶴見俊輔も当然だけど読んでおられたことと思う。『何でも見てやろう』は、とても楽しく読める紀行文だし当時の空気感や著者の感情が生き生きと伝わってくる文体に感じたが、平成の終わりに読むと、当然すぎるがポリティカルコレクトネスに反した表現や露骨な差別語の数々に、気づく。だからどう思う訳ではなく、ただ今の時代には合っていないという謎のセンサーが働く。これは、なぞらえて言うならば、当時の位置、つまり戦後復興期の日本の位置あるいは大戦後の世界の言語空間がそこにありそこにしかなかったということであり、それを教えてくれるという点でも大変貴重だと思う。

 

 母校の話に戻すと、私が在学していた時に校舎の建て替えが目下進行中であり、敷地内は禁煙になるとの話に、ヘビースモーカーだった件の先生は、不満を口にしていたのをよく覚えている。「今まで当たり前に吸わせてくれてたのに、そんなにイジメなくたっていいじゃんねえ!」と。

 

 また、先生はある時こうも言っていた。「喫煙の習慣によって、死亡率が上がるとかよく脅かしてくるけど、自分の死は一回しか来ないし、裏返せばどんな人でも一回来るし、だったらそれは何パーセントとかの世界じゃなくて、0か1の世界の話でしょ」と。

 

 

 先生の言葉だったり存在だったりは、月並みな言い方をすれば、現在も私の心の中に生きている。先生の本名で検索すると出てくるおそらく在校生が作った、数年前で更新が止まっているTwitterの○○先生botというアカウントとは、全く異なる意味において。

 嫌煙の風潮のなか数年前にタバコを吸い始めた私は、その点世間から「悪く」「ズレて」しまっているのかもしれない。ヴォーカロイドの同人音楽も流行のアニメソングも聴いて楽しむし、漫画も読むし、アプリゲームも忘れず毎日ログインする。YouTuberの動画に高評価をつけることもある。しかし、数十年前のベストセラーを読んだりしてかつての恩師を思い出し、インスタライブでもTikTokでもなく、はてなブログに、動画ではなく文章をアップロードするというのは。

 

 そんな急ごしらえの自分への嫌味はさておき、そろそろ久しぶりの記事を締めたいと思います。中高6年間で何千回と聴いた終業のチャイムが、どこからか耳に入ってくる心地です。

 

 おそらく私は、生意気かつ不可解な生徒だったと思います。しかし、人生のある一時を先生と関わらせていただいたこと、先生から教えを賜れたことに感謝しております。

 

 先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「東大を舐めている全ての人たちへ」を読んで:勉強に面白さを感じるということ

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 江藤です。上記記事を読み、久々にこのブログを更新しようと思うほど、そこはかとなく辛く感じました。

 確かに東大合格までにはかなりの訓練と、それをこなすだけの時間・エネルギーが必要なことは事実です。しかし別にそれは一から十まで苦しいものではないはずです。人によってその割合は違うだろうけれど、勉強自体を純粋に面白いと感じるタイミングがあるはずです。それは「タイミング」と言うほどに刹那的で限られたものでなく、より恒常的なものである可能性ももちろんあります。

 しかし、上のブログでそうした勉強の面白さへの言及が皆無なのは衝撃的でした。と同時に、私の中で腑に落ちなかった経験に関し、納得することができもしたのです。

 

手段としての勉強

 上記ブログ執筆者のtonoikeさんは、ブログを見る限りでは、勉強を競争のための手段としてとらえています。高校の一時期はそれから完全に手を引いていたというし現在も留年の危機というのですから、基本はあまり面白いと思っていないはずです。

 しかしだからといってやらないということにはならなかった。なぜならそれは競争の手段だからです。競争をする以上、それは自然にやるものである、ということです。だからそもそも勉強から面白みを感じ取ろうという姿勢自体が希薄な気がします。それが面白いか面白くないか、したいかしたくないかを脇においた結果、以下のように自分の選好というものはなくなっていってしまいます。

正直、負け惜しみです。僕は特別に強くこだわる対象を持てなかった。他の、楽しくて何かに打ち込んでいる人のように積極的に打ち込めることが無かった。もしかしたらあるのかもしれないけど、それよりも比較的苦しくない領域で勝負した方が良いような気がした。「好きなことして生きていく」ための努力をできるほどの「好きなこと」なんかそもそもなかった。そういう感じです。

note.mu

 

 で、そういえば、私が家庭教師をやっていた子もそうだったなと思い出しました。かなりきちんと宿題をやってくる。長い時間勉強をできる子でした。しかしいつも「勉強を面白いと思ったことはない」といい、「どうでもいい」が口癖でした。私はなんとか勉強の面白さを伝えようとしたのですが、ピンとこないようでした。

 そこで今回の記事を読みつつ思ったのですが、ピンとくるもなにも、彼は勉強に面白さとか求めていなかったのでしょう。tonoikeさん同様に、それは競争のための手段であるからやっているというだけ。

 なるほど、私も完全に手段として扱う行為は多いです。例えば今でも思い出すのですが、小学校低学年の時私は歯磨きが嫌いでした。しかししつけられた結果、頑張って毎日していました。

 そうした努力もむなしく、当時ちょくちょく虫歯を作っていたので、私は歯医者に通っていたのですが、そこの歯医者さんは意欲的な若い男性で、どうしたら歯磨きを楽しくできるかと何度も説明してくれました。

 ・・・しかし正直私はピンときませんでした。幼い私にとって歯磨きは虫歯を免れるための手段であり、別にそこに面白さとか求めていなかったから。虫歯にならないために工夫するつもりはあっても、面白くしようとは思いませんでした。

 全然的外れかもしれませんが、そもそも勉強に面白みを求めないというのはそういうことかもしれないなと思います。例えば私が家庭教師をやっていた生徒の子は、徹底的に、勉強をそれが生み出す効能の観点からやるべきものとご両親に教え込まれていました。

 つまり、彼の中で勉強は完全に社会的成功を収めるための手段だったのです。ここはおそらくtonoikeさんとそう変わらないでしょう。

 

勉強に面白さを求めるタイプ

 私自身は面白くなければ勉強を続けられない人間なので、私の生徒くんやtonoikeさんのような勉強の捉え方は私にとって結構驚くべきものです。面白くなくとも結局仕方なくやる生徒くんやtonoikeさんの方が受験で結果を出すには有利かもしれません

 私は高二くらいの時に一部の勉強が面白く無くなってしまい、やめてしまいました。浪人しました。その時に思い知ったのですが、私は面白くない勉強はいかに自分の人生がかかっていようと長くは続けられないということです。

 もちろん、他の多くの人と同じように、競争の中で自分の順位を上げていくことのゲーム的な面白みはよくわかっています。競争の中で自分を伸ばして来ることができたという自覚も強く持っています。だからその点ではおそらくtonoikeさんと大きくは変わりません。ただ、勉強に面白みを求めるか否かという点は、程度問題かもしれませんが、だとしてもかなり程度の差があります。

 結局私は浪人しても面白くない勉強はできなかった。もちろん一教科丸々捨てるなどということはしませんが、数学で言えば平面図形、確率、整数問題の分野はセンターレベル以上は解けなかったし、世界史も論述問題の対策というのはつまらなかったのでほとんどしなかった。現代文も漢文もその調子。でも面白くない勉強を捨てたので毎日本当に勉強が面白かった。深いところで満ち足りたような気分を味わえていたのでした。

 

勉強は東大生の一部

 思春期に8000時間も費やすのですから、勉強という行為は否が応にも東大生の一部になってしまっています。そして、そうした自分の一部を手段としてしか捉えられないだとしたら、それはきつい、辛いと思います。自己を手段としてしか捉えられず、その固有性を自分自身が認められていない辛さです。

 そしてそれは多くの東大生が共有している辛さではないか、と私は思います。一時期、自分が自分自身を周囲から差別化するための強力な手段となっていたという事実。そして、それをこれからそのまま続けていくのか、どこかでそうしたことから決別して、自己の固有性を探る方向に行くのか。前者の場合、自己の固有性からはそっぽを向き続けることになる。後者の場合、自己の固有性を求める運動を社会化ということと両立させなければならない。そこには葛藤もあるだろうし、分裂もある。

 といったところでこのブログは文科三類の学生が書いているので、ふと文三に戻ってくるのですが、文三の学生にはやはり、自己の固有性にそう簡単に蓋をできない人が他の科類よりも相対的に多くいる気がする。そして上で少し言及したのですが、その方向性は基本的には社会化と矛盾すると思う。だから私の周囲には就職してもやめたり、そもそも就職に方向付けられなかったり、それ以前に大学をサクッと卒業できないという人たちがいる。

 彼らは彼らなりの血を流しながら、自己の固有性を捨て去ることなく社会の中で生きようとしている。残念ながらほとんどが失敗だけれども、失敗するということ、そこに軋轢が生じるということ自体が、彼らの固有性を指し示しています。しばしば私はそうした人たちを好奇の目で見つめる方に、自己を置いてみたりします。しかしそれは全然人ごとではありません。

 例えば私は仕事をしています。先に私は面白いと思う勉強しか受験の時に身をいれてしなかった、と述べましたが、当然仕事においては一から十まで大きなミスのない形で満遍なく一定の水準に持っていかなければなりません。選り好みはしていられないのです。仕事は総合点勝負ではないから。数学で100点とったので、国語は30点でいい、どうせ合格点は120点だから・・・ということは決してないのです。

 そこでマルチな能力を身につけるのか、それともそうではなく、マルチになりきれない(能力的に、というより、それに価値を感じない、あわせていけない)自分が受け入れられる場所を見つけるのか(必ずしも職を転ずるということではなく)、ということは上の問題に大きく関わっています。

 

終わりに

 最後にはやや脱線気味になりましたが、私は東大に6年以上いながら、tonoikeさんのようなタイプの人に出会って来ませんでした。ちょっと想像すれば居そうなものなのに全く思い当たりませんでした。

 なぜだろうと考えてみると、私は勉強を手段として捉えることができない人間であるからです。そう言えば、就活の時に多くの人が一度は受けてみる外銀やコンサルを全く考慮に入れなかったのも、(その見方が正しかったかどうかは別として、少なくとも当時は)勉強で培った知力を社会的な成功のためのステップにしたくなあと思ったからなのかもしれない。

 これは当然私の狭さであるわけです。なぜならそれを純粋に手段として捉えた方が得することもいっぱいあるから。しかも、別に私も場合によっては(あまり意識的にではないかもしれませんが)そうして来ているはずだからです。

 教養学部の私は教養は人間力を涵養する、というような一種の神話に囚われているのかもしれません。もちろん、そこには確実に一定程度の真実はあります。しかしそうではない世界も厳然としてある、ということを知りました。その評価に関しては、判断留保。まあ、もう大抵の読者には上述で明らかだけれども

 

東北出身者は検定試験にもケチつけられなきゃならんのか

 

平成29年度 日本語教育能力検定試験 試験問題

平成29年度 日本語教育能力検定試験 試験問題

 

 

日本語教育能力検定試験、つまり日本語母語話者でない人に日本語を教えるための試験、の平成29年の問題を見ていたのですが、アコモデーション理論(聞き手によって話し方を調節すること)を問う問題で選択肢の一つにこんな文章があって、

 

東北出身者が、方言使用に否定的な友人に対して、方言を強調して話す。

 

あ、出たーーーーーー

 

これを見た瞬間、現実の「東北出身者」つまり私の頭の中では、おそらく「方言使用に否定的な友人」は大阪出身者とか福岡出身者に対しては登場しないんじゃないかなあ──もちろん、そういう人間が実在しない、あるいは少ないだろうという意味ではなくて、こういう設問を作る人がそこに登場させようと思わないだろうという意味で──とか、そういう友人に対して逆にあえて「方言を強調して話す」なんて意地悪いことをするのはどごの田舎者なんだべなーとか、なんか試験とは関係のないあれやこれやのことがたちまちのうちに駆け巡ったのであった。

出題意図は分かるんだけど、あえて「方言使用に否定的な友人」を設定しておいてその上でわざわざ地方名を特定して引き合いに出されるのってやっぱり東北なんだなあ、確かに東北の受験者数は少ないとはいえ全国でやってる試験なんだけどなあ、などと試験中に余計な感情を喚起させられる東北出身者がいることくらい、問題作るときに一瞬でも想像してくれなかったのだろうか。(この年の試験は総受験者が5767人、うち東北地区の受験者は133人とのこと)

 

同じ試験の聴解問題では例えば女性医師と男性患者の会話も出てきたし、そもそも日本語社会にいる日本語非母語話者について取り上げるような試験なので、決して「何も考えていない」わけじゃないと思うのだが、やはり平成30年になっても、性別やナショナリティについて「配慮しようという気がある」と思えるほどには、日本の中の各地方の扱いについてはそう感じられる場面は多くないと思う。それはまあ、出身地方というのは見た目だけでそれと区別できるような類のアイデンティティでもないし、おそらく全国どこに行っても男と女は同じくらいの割合でいるが、東北出身者の割合が多いのは東北地方だろうから、意識されにくいとしても理由は納得できるが。でも、だからって現状に納得してるわけじゃないし、だからこそ私は黙っていたくはないです。ちょっとしたことでもな。

 

似たような話をしている記事↓

地方コンプレックスが強すぎてつらい その1 - On the Homefront

地方コンプレックスが強すぎてつらい その2 - On the Homefront

夏休みは8月31日に終わらない - On the Homefront

遠足の準備より遠足当日を素直に楽しいと思えた夏

遠足は当日よりも準備してる間の方が楽しい、みたいな傾向が多分にあって、例えば週末が楽しみだったとして、昔から木曜日あたりが一番好きだった。日曜日はあまり好きじゃない。楽しみにしてた週末が終わって、次の週末が一番遠くなる日だから。

とにかく何か楽しみにしているイベントがあると、その当日といったらどこか気持ちが重くなるのである。だってもう楽しみを楽しみにすることができないんだもの。逆に楽しくないイベントの場合は当日が一番ハイテンションになる。例えば試験なんかそうで、ずっと続いてきた試験勉強とかいろんな重圧がこれさえ済めば終わると思えば、一番重いはずの当日はむしろ楽しくさえあった。とにかく、楽しみの中に在るとき、その楽しみ自体を楽しむことよりも、楽しみの時間がどんどん減っていくことばかり考えてしまうのだ。

 

てなわけで、夏休みも8月に入るともう心が重い、というのが学生時代は定番だったわけなんだが、今夏はそれがびっくりするほどなかった。楽しさの中に憂鬱がなかった。夏休みといって1週間帰省してきたくらいなんだけど、地元東北は猛暑を逃れて過ごしやすく、といって気が滅入るほどの冷夏でもなく、適当に暑く、不快にならない程度に汗をかき、スイカをおいしく食べて、山に登り、湖に行き、花火を見て、十分寝て、墓参りと親戚付き合いも済ませ、あとはずっと好きな本を読んで過ごした。タイミングが良かったのか何なのか、自分にとってこれ以上ないお手本のような夏休みだった。

そしてこれだけ充実していると、充実した日々が終わることが惜しくて憂鬱になる、という気持ちすら起こらないのだった。そりゃ充実した日々は終わってほしくはないんだけど、それが終わるとしても、まあそろそろそういう時期だよねって穏やかに受け入れられるという。楽しみを楽しんでも惜しむ気持ちが起こらない。心に余裕があるってこういうことかと自分でも驚いた。

心に余裕があるってことは何もかもどうでもいいと思うことに近くて、こうしなきゃいけない、こうでなきゃいけない、こうしたい、みたいな強固な信念から解放されている状態なんだろうな。それってたぶん生産的な気持ちとは反比例するもので、何かを書こうとか新しいことを始めようと思うためには余裕のない渇望感の方が必要なんだろうが、まあそれは放っといても湧いてくるものなので、今のところは珍しく余裕のある心を持てた有難さの方を存分に享受することにしたのであった……

一年ぶりに考える、私が文三だったわけ

 将来の夢ってはっきり決まっていたことがない。やりたいことを絞るには、世の中には知らないことが多すぎて、将来なりたい仕事なんてまだまだ選べるわけがないといつも思っていた。おそらく道を一つに定めていた方が何かと楽にやっていけたのだろうが、決めようと思ったところで決められた試しがないので、そのままここまで来てしまった。今ですら先のことは何も考えないで生きている。来年どうしているかも分からない。

 小学生のとき将来の夢を発表しなければならないことがあり、困った私は半ばやけくそで作曲家と書いたのだった。ピアノを習っていて、テキストに載っている曲を真似してドレミファソしか出てこないメロディを五線譜に書きためたりしていたのだ。結局その話はそれ以上になることはなかったのだけれど、最近になってちょっとパソコンをいじれるようになり、記憶の中の曲を思い出して打ち込んで、音符を加えて曲らしい体に完成させるというようなことをしている。そうしてイントロから各パートのそろった曲を自分で作って自分で聞いていると、それがびっくりするほど楽しくて楽しくて、ああ私はこういうことがやりたかったんだなあと思う。素人のお遊びとはいえ、あのときの夢を一つ叶えられたような気持ちなんだ。

 

 そう思えば将来の夢なんてほんとはずーっと決まっていて、それに向かってああでもないこうでもないしていたというだけのことなのかもしれない。道なんて本当は最初から一つしか見えていなかったのに、ただそれが実現させるにはあんまり茫洋とした話だから、決めきれないという形でごまかしてきたのだ。

 要するに、ずっと何かを作りたいと思って生きてきた。何か、というのはおそらく形のないもので、具体的には文でも絵でも音楽でも、マンガでも論文でもウェブサイトとかでもなんでもいい。なんでもいいから何か作っていたいんだよなあー。……という話を先日ちらっと江藤にしていたら、文三に来て文学部に進むような人はわりとみんなそういう志向があるのかもね、と言われてなるほどと思った。みんなそういうものか。何かを作りたいなんて、思うだけなら誰でも思いそうなことを、マジにしてしまうようなやつは、確かにそういう分野の学問にたどり着きがちかもしれない。