On the Homefront

東京大学文科3類ドイツ語クラス卒業生の共同ブログです。個々人が、それぞれに思うことを述べていきます。

偽の歴史というジャンル:フィリップ・K・ディック『高い城の男』

 大学一年生の時、シラバスでふと見つけた船曳ゼミに未だに参加しています。文化人類学者の船曳建夫先生のゼミです

 最近、そのゼミの読書会で、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』という作品を読んだので、感想を書いておきます。

 

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

 

 

 この作品は日本とドイツの勝利というあり得たもう一つの現実=偽史を舞台としています。作中では、アメリカが勝利したという(作中内の観点から見た)偽史が流通しており、作品はその作中内偽史(=読み手にとっての現実)を読む人々のありように中心的に焦点化しています。

 この作品の眼目は偽物の歴史、あり得た世界とそれを読む人々との関係のありようにあります。

 個人は大きな歴史の流れから容易に外に出ることはできないが、それをわかりながらあり得たもう一つの物語を作ってしまう。そして偽にすぎないそれらの物語から力を得て、現実(=『高い城の男』の物語)が駆動されていってしまう。そのような偽史=フィクションと現実との関係性が描かれているのです。

 

 作中内で扱われるアメリカ側が勝利したという偽史は、終結部でむしろそれこそが真実であったと暴露されるのですが、偽のものが真実であったことがわかってなお、だからといって偽の側に反転してとらえ直される『高い城の男』の世界の人物たちが真実=アメリカの勝利した世界に向けて外に出ることはできず、現実的な戦勝国=ドイツの迫害は身に迫る危機としてあり続けています。

 だとしたら、真実を知ったことにいかなる意味があったのだろうかと思わずにはいられません。ということで、ここで作中内で流通する偽史の作者である「高い城の男」が、占いに助けられてその物語を書いたこと、そのことの意味は何かという問いがわきあがってくるでしょう。

 

 『高い城の男』は偽の歴史を読む人々の物語であるとともに、偽の歴史を書く高い城の男=作家の物語であり、危機があちこちに伏在する現実に閉じ込められる人々が、そこから脱出しようとして読むこと、そして書くことの意味を問うた作品と私は受け止めました。

 あらゆるものが善と悪、真と偽の二項対立の図式に還元され得た冷戦期に、この物語は、その図式自体への懐疑を投げかけていた、ととりあえず言える気がします。このように大まかに言ってしまえる作品は多数存在すると思うのですが、この作品も大きくはその一群の中にあると考えられるのです。

 

 真も偽も作られるものであり、かつまたある事柄が真であるか偽であるかがわかったとして、それとは関係なく危機は迫ってくる。にも関わらず、真なる物語を書くのは何故か、という問いに戻りましょう。

 「高い城の男」は何も真なるものを書こうと言う当為により書いたのではなく、占いに導かれて、それを書いたということでした。つまり、何かしら魔術的な力に駆動され、思いがけず真実にたどり着いてしまった男であるということになります。

 だからこそ、高い城の男はそれの持つ意味を測りかね、真実性の力に取り込まれすぎないように、自分の書いてしまった作品からあえて距離を置いているように見受けられます。

 

 ウィキペディアによれば、この作品はディックの作品の中で例外的にまとまりのよいものであるとのことですが、それは高い城の男の、自分の書いてしまったものに対する距離感と同様の源から発しているのかもしれません。自己の書くものに過剰に接近しすぎると物語は大抵、過剰さや過度な曖昧さによる自己崩壊を引き起こすなどして、綺麗に終わることのできないものですが、作中内の高い城の男のように、ディック自身も自分の書いてしまった『高い城の男』という作品から、一定の距離をとろうとしているように考えられます。

 

 作品は偽の歴史の世界に舞台を置き、舞台内での偽の歴史=現実世界である作家ディックの生きる現実における真の歴史にたどり着くことで幕を閉じます。もちろん、最終的に「真」に位置付けられた作中内作品も細かく見ていけば、作家ディックの生きる現実世界との異動が見受けられ、このような作品内部で「真」の位置付けを与えられた歴史と現実の歴史との間の揺れをひもとかなければ滅多なことはいえないのですが、真実にたどり着くことが二項対立の世界からの脱却=外部への脱出を示すのではなく、むしろまた別の二項対立の世界=もう一つの内部に入り込むというデモーニッシュな反復が印象的でした。

 だからこそ、出発点でも着地点でもなく、ある内部からもう一つの内部への移動、書くことと読むことを通して演じられる移動を描く作家の眼差しこそが、作品の本領と感じられます。

生徒に影響力を及ぼしたい、という欲望

 江藤である。

 

 今日は、顧問をしている部活動の練習試合があったので、1日学校にいた。たるいなと、思ったし、休日を謳歌したいなとも思ったのだが、引き受けた以上仕方がない。ちなみに、最近よく話題になっているように、部活動のための休日勤務に対する手当はわずかだ。全く割りに合わない。こんなことで休日が潰れるのか、と思うと怒りを覚えそうになるタイミングもある。

 

 しかし断っておかなければならないが、部活の顧問になることに関して、実は僕はやぶさかではなかった。

 

 部活動の顧問を教員たちがほぼ無給でやっていることが社会問題化し始めたここ二、三年の流れを受け、当然に僕も、そのような労働形態が不当であるということは声を大にして言いたい。

 ただ、それはそれとして、僕自身の中には手当の有無に関わらず、部活動に関わりたいという気持ちが確かにあったのである。そして自分で、それは大変に不純な動機であるとわかっていた。

 

 なぜ部活に積極的に関わりたいのか?一番は、「生徒の成長を目の前で見守りたいからである」。ほとんどクリシェと化しているこの文言は、おそらく(若干の悪意を込めて)言い換えるなら、このようになる。つまり、僕は可塑的で素直で自我が未発達な子供達に自分の影響力を及ぼしたいのだ。そのようにして、人に対する影響力の高まりにより、僕は喜びを感じるたちなのである。

 こう書くと、自分が、権力欲の極端に強いいびつな人格の人間のように思われてくるのだが、それが偽らざるところだから仕方がない。

 というか、教員は、多かれ少なかれ、自分の工夫、自分の経験をもとに生徒に影響力を及ぼしたいと思っている人種だと思う。

 

 ここで、自分が生徒だった時の頃を思いおこそう。積極的に関わろうとしてくる教員には禄なのがいなかった。当たり前だ。教員を初めてほとほと実感するのだが、身体的・精神的な観点から言えば、生徒はほっといても育つのである。

 僕たち教員の役割として最も重要なのは、彼らが社会に出たときに必要とされる技術を身につけさせることだ。ことこれに関して、生徒が勝手に身につけることはあまりない。学校の授業やテスト、そして入学試験等で漢字の書き取りを扱わなければ、ほぼ全ての人が漢字を満足に書けずに社会に出ることになるだろう。

 国語の教師としての僕の1番の役割は、目の前にある文章を書かれてある通りに読む力を身につけさせることである。次に、それを批判的に読ませることがくる。

 

 僕の役割は、生徒たちの人生におけるパトロンになることでは全くない。

 

 当たり前のことを言っているように聞こえるだろうか。少なくとも僕にはそう聞こえる。

 しかし学校現場で働き始めて驚かされるのは、生徒に慕われたい、彼らと精神的紐帯を結びたいと、陰に陽に思っているであろう教師が案外多いことだ。先に述べたように、僕もそう思っている。そういう動機から、部活でもやるか、と思ったのだ。

 というか、無給なのに部活の顧問がやりたいと積極的に思うなんて、それは生徒と関わりたいからに決まっているじゃないか。

 

 ということで思うのだが、部活のための手当がほとんど出ない現状における被害者は、何も教員だけでなく、自分の実存を満たすために顧問になる教員と接しなければいけない生徒全般だと思う。

 「無給なのにやってやってるんだぞ。君たちの未来のために!(感謝しろよな)」というような態度で接してくる恩着せがましく尊大な私のような教員が顧問になるのは本当はよろしくない。なぜなら教員を調子に乗らせるからだ。そんな人間に顧問になられても、のびのびと部活動ができるわけはない。

 早く十分な手当が出るようになって欲しい。もしくは、顧問を別に雇うようになってほしい。

繊細さを失わず、生活を見つめる:津島佑子「水辺」

 昨夜は眠れなかった。築30年を超える私のアパートの窓は、時折激しくガタガタと鳴って、その度にまどろみから覚まされた。そして、このような嵐の夜に、その風雨の影響を受けず曲がりなりにも睡眠をとることができるとはなんということだろう。住むべき家があって本当に良かった、という安心感から再び眠りにつくということを繰り返した。

 

 あとから読み返した時に思い出しやすいように、この度の台風に関するニュースをはっつけておく。

www.tenki.jp

 

 

 明けた今日、台風一過。素晴らしい天気である。部屋が明るくなって風が吹き抜ける。

 

 爽快感に突き動かされるように、津島佑子「水辺」(以下、引用は『光の領分』(昭和54年9月、講談社)より)を読んだ。

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 夫との離別から一人で娘を育てなければ行けなくなった母の、生活へのかすかな期待と不安感とが、相互の葛藤が織りなす繊細さを捨象しない形で丁寧に掬い上げられる。第一に印象に残ったのは次の一節。

 

娘の父親であり、私の夫である男だが、私はすでに一ヶ月以上、その男の知らない、知らせようもない、とりたてて大きな事件は起こらなかったが、その平穏なことに、かえって、これからの日々への恐れを膨らませずにいられないような生活を続けてきてしまっている。安定を保てるはずがないのに、一向に倒れず、それどころか、そのまま根を張り、新しい芽さえ覗かせようとする、歪んだ、こわれやすい、透明なひとつのかたまりを眼の前にしているような心地だった。それが見えるのは、私の二つの眼だけなのだ。藤野と再び、夫婦として、なにげなく顔を合わせるには、私はあまりにも、この新しく自分に手渡された不安定なかたまりに愛着を持ちはじめていた。(43-44頁)

 

 「私の二つの眼だけなのだ」という箇所に、不安定な足場に立ちながら、揺れ動く生活の実相を見つめる覚悟を感じ、はっとする。

 一人暮らしを始めた自分は、自分の二つの眼によって、眼の前に去来する複数の不安定性をしかと見つめられているか、それ以前に、見つめようとしているか、と考え込んだ。

 第二に印象に残ったのは次の一節。

 

藤野から電話が掛かってきたのは、その次の日の夜だった。私には、ますます藤野の気持をこじらせるような応対しかできなかった。藤野の声を聞くたびにどうして足が震えるのか、分からなかった。

 同じ夜、私は自分が銀色の星の形をした器のなかに坐っている夢を見た。器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼り付いていた。許して下さい、と叫ぶと、中学生の頃の同級生が私の星を見上げて言った。

〈あなたは、どうして、そう、だめなの〉

 同級生と言っても親しく口をきいたこともない、ずば抜けた成績の持ち主だった。いつも級長に選ばれていたのはともかく、容姿も整っていたので、男友だちも多かった。それにしても、あの人を今頃、夢に見るとはそのこと自体、馬鹿げている、と思いながら、そんなことを言われたって、だめなものはだめなんだもの、と涙を流しながら弁解をしていた。それに、これでも見捨てずにいてくれる人だっているわ。本当よ。きっと、いるわ。(45-46頁)

 

 他のようではあり得ない自分に関し、許しを請い、請いながら許しの到来を薄弱な確信とともに待ち続ける。「きっと、いるわ」から受け止めることができるのは、信仰というテーマと思われる。

 屋上における給水塔の漏水といった小さな事件をきっかけにして、語り手が直面する日常生活における問題のその先が見えたり、あくまで解決に至らない部分の堅固さが改めて確認されたりする。その繊細な筆致に感銘を受ける。

 私たちが直面する問題、その困難、その解決の糸口はどこか遠くにあったり、何か大々的な事件の末にやっとその全貌が明らかになるのではない。常にそれらは手の届くところにあり、「二つの眼」で生活の細かな事象を逃すまいとして見るものに明らかになるのだろう。

 

 今日は森鴎外記念館のモリキネカフェに行った。悪くなかった。そのあと、東大の総合図書館に行ったが、入館証を忘れて入れなかった。無念。

コンプレックスをばねにする−−−でも、何のために?

 超難関中高一貫校から東大に落ちた人の一部は東大コンプレックスを抱くようだ。そもそも日本一入試偏差値が高い大学なのだから、普通に人生を送っていれば入れなくて当然であるのだが、中高時代の成功体験に縛られ、苦悶の末に入らないことを選択した瞬間/度重なる失敗で入れないことが明らかになった瞬間にそれが大きな失敗として傷を残してしまう。

 この種のコンプレックスに一時期とらわれることは別に不思議なことでも何でもないだろう。人はそれぞれにコンプレックスを持っていて、それと全く無縁の人はほとんどいないのではないだろうか。

 以前同期の中では最速で助手の地位を得た理学系の先輩−−−柔和で気品があり、頭が良く常に冷静な彼−−−が、恋人がいるかいないかという話になったとき突然、不思議なほど強がって、「そろそろ作ろうかな」とかいいだしたので驚き、「いやいや、そんな簡単に作れないでしょう」という言葉が喉元まで湧き上がって来たことがある。こんな人でもコンプレックスを持つのか、つくづく、悩みというのは人間に平等に与えられるものなのだな、と思った。

 

 誰にでもコンプレックスはある。一方で、コンプレックスに強く囚われ続ける人は限られてくる。求めるものを得ることができなかったという気持ちに繰り返したちかえらざるを得ない環境にいる人たちが、そのような人々だ。

 例えば冒頭で触れた「超難関中高一貫校から東大に落ちた人」の中には、大学院から東大に入学するものが一定数いる。もちろん彼らが成績面で優れており、熟考の末東大に求める環境を見つけたという健全なきっかけの可能性も十分にあるが、僕の見聞の限りでは、単純に東大に入りたいという気持ちも強いようだ。

 では、東大コンプレックスに動かされて東大の大学院に入った人は、それでコンプレックスを解消することができるのだろうか。そうできる人もいるのだろうが、一部の人はむしろ、東大の大学院に来たことで、学部で東大に入ることができなかったというコンプレックスを改めて強く持つようになると考えられる。

 例えば僕の友人で、東大にどうしても入れず、別の大学に行った友人は、大学院から東大の、それも入学が難しい研究室に入った。大変な努力だったろうと思う。大学院の入学式に彼が二親とともに出席していたのが印象的だ。内部から進学する学生の親の場合、大学院の入学式はスキップする人が多いからである。

 それで、彼にとって東大に行く/行かないの件はもう決着がついたものと捉えていた。しかしそうではなかったようだ。もう大学院入学直後、彼がインスタ上で、誰もが名前の知る首都圏難関私立高校から私大に行った友人(つまり彼と同じような境遇の人)と、「東大のことにずっと拘束されている気がして」とレスを飛ばし合っていたのを見たときは驚いた。なるほど、大学院で東大に入っても、学部で東大に入れなかったというコンプレックスが持続することがありうるのだな、と思った。

 そうして彼は、再びコンプレックスを解消するために、今度は大学院での勉強に励むことになるのである。「コンプレックスをバネにして努力しようぜ!」というレスが、先のインスタのやりとりの最後であった

 

 さて、「コンプレックスをバネにして努力を重ねる」−−−この言葉に、僕はなんだか違和感を覚える。努力を重ねることで、覆ることなら、その意味はあるだろう。しかし、バネにして努力を重ねても解消されないコンプレックスがある。

 例えば学歴がその最たるものだ。学部に入学以降いくら努力を重ねても、東大に入れなかったという事実は変わらない。職業社会で生きていく限り、学歴は一生ついてまわる。 「コンプレックスをバネにして努力を重ね」ても、コンプレックスが消えることがなければ、ただひたすらにコンプレックスに追い立てられる生活が待っている。東大にコンプレックスを抱く限り、どこでどのように成功しようと、東大に入らなかった/入れなかった事実はかわらない。

 そもそも、「コンプレックスをバネにして」というような言説が登場するのはなぜかを考えてみよう。それは、コンプレックスに囚われて生きることが辛いことであるからだ。それは辛く、苦しい。世の人の大部分が気にせず生活を送っていることに関して時に過剰に気にし、頭の中の理想の自分と現実の自分との乖離がちくちくと胸を刺す。

 

 「コンプレックスをバネにして」は、本来そのようなコンプレックスを解消させようとして生まれて来た言説なのだろうが、実際には、むしろコンプレックスに駆動された終わりなき戦いに人を追いやっているように見える。なぜならそのような言説を享受している、強いコンプレックスに悩む人の、コンプレックスの対象とは通常、逆立ちしても得られないものであるからだ。得られるものなのだったら、とっくに得ているだろう。

 コンプレックスをバネにして社会的成功を得る−−−結構な話だ。しかし、貴方のコンプレックスは、そうした成功を得て、解消するものなのだろうか。解消しないのだとしたら、一体何のためにそれをバネにしたのだろう。外から見た「成功」を手にしたところで、貴方の内的欲求は満たされない。貴方は誰のために生きているのか、と思う。

 重要なのは、だから、コンプレックスから抜け出す方途を探ることだ。第一に、それをバネにすることで本当にコンプレックスから抜け出せるのかを考える。抜け出せるなら、確かにそれでよい。けれど大抵の場合、コンプレックスをバネにしたところで抜け出せない。独り相撲になるだけだ。

 

 人は社会に出て、生活をしていかなければならない。口を糊する手段を得なければならない。そのために、社会に自分を合わせていくことは重要だ。だから、その限りにおいて、コンプレックスを上手に利用するということはありうる。そのままでは努力しない自分を奮い立たせるために。

 しかし、それが終わった後は、それを見つめ直し、解消していく時間が必要だ。決して得られないものに拘った時間を振り返り、その営みが何になったのか、ということを冷静に算段したあとで、改めて自分の生を生きていくことを考えなければならない、と思う。

 

 僕の考え方は、「若いうちにがむしゃらに努力する」ことを回避する怠け者の思想に感じられるかもしれない。まあ確かに僕は怠け者なのだが、「がむしゃらに努力する」ことと同様に重要なことに、「がむしゃらに考える」ことがあるだろうとは思う。大多数の努力は、考えなくてもできる。むしろ、考えないために、「がむしゃらに努力する」ことがあるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

大急ぎロシア観光 その3:チャイコフスキーの家博物館

前:大急ぎロシア観光 その2:バレエ鑑賞 - On the Homefront

 

 ロシア2日目はモスクワをちょっと離れ、クリンにあるチャイコフスキーの家博物館を目指す。ホテルから目的地まで2時間くらい車に揺られていくのだが、例によってモスクワ市内は大渋滞、それを抜けると大爆走。

 おかしな話だけれど、市街地を一歩出ると急に懐かしいような気持ちになる。郊外の風景は一見、規模のバカでかい東北地方のような趣だ。畑があって森があってぽつりぽつりと家がある、地元の風景ってそんな感じ。ここもそう。

 もちろんよく見るとここは日本ではない。まず、山がない。これが決定的に違う。帰国してから地元に行って、日本はマジで山だらけなんだなあと感心してしまった。もうなんていうか、日本にいるときよりロシアにいるときの方が地球の直径が大きいんじゃないかね。山がないということは、空が広いのだ。

 山がない代わり、ひたすら平原が続く。そしてうっそうと茂る白樺。小学生のころよく聞いた「トロイカ」の歌詞を思い出す……雪の白樺並木、夕日が映える……音でしか覚えていなかった歌詞が実際の景色と結びついて立体的になる。雪の白樺並木! あー、あの歌が言っていたのはこの風景のことだったのかー。生きていると「知っていること」が「分かっていること」になる瞬間というものがあるものだけれど、それを味わえたときの高揚感といったら、それだけでもロシアに来てよかったと思えるくらいだ。

 

◇◆◇

 

 チャイコフスキー博物館では、いかにも「ロシアのおばちゃん」然としたひげの濃い女性が敷地内を案内してくれた。作曲家の死後、弟モデストが晩年の住まいを博物館として整備したのだが、こういった偉人にまつわる博物館を作ったのはロシアでは彼が初めてだったのだそうで、モデストはロシアにおける記念博物館の父とも言われているとのこと。

 館内は土足禁止なのでスリッパに履き替える、のではなくて靴を履いたままその上にビニールのカバーをかぶせる。靴は脱ぎません。最初の部屋で、写真でよく見るチャイコフスキーが着ていた服や帽子や杖がそのまんま展示されていて、来館者を出迎えてくれる。

 作曲家ゆかりの品という意味でももちろん興味深いんだが、19世紀の生活ってこんな感じだったのかという視点で見ても十分面白い。重そうな文机があったかと思えばベッドは簡素で小さく、巨大なトランクは幾多の演奏旅行でぼろぼろ。私のスーツケースは軽くてコンパクトでよかったなあ……。朝の時間を過ごしたというベランダにはティーセットが置かれていた。ロシアではお茶をカップになみなみ注ぐのがマナーらしくて、受け皿がかなり深い。こぼれた分は皿からもすするのかしら、気になったが聞きそびれてしまった。

 ロシアでも大作曲家といえば誰を差し置いてもチャイコフスキーというほどの人物ではあるが、それが世界中どこに行っても大人気なんだなあと感心してしまった。NYのカーネギーホールこけら落としもチャイコの演奏会だったのだ。訪問先の都市で歓迎され、持ち帰ったお土産の品々もそこらじゅうに飾ってあった。

  小さい林のような庭には、ところどころ若い植木がある。チャイコフスキー国際コンクールの優勝者が毎回ここに木を植えていくのだそうだ。それからバカでかいチャイコフスキー銅像もあって、ここでは隣に座って写真も撮ってもらった。そういう感じで人間がキャッキャしているところ、足下では猫がうろついていたりして、ガイドさんがニャオちゃん、ニャオちゃんと声をかけてもまるで構わず悠々と歩いてどこかに行ってしまう。猫はどこに行っても猫だなあ。

 

 後で気がついたが、フロントで借りられる音声ガイド数カ国語の中には日本語のものも用意されていた。ロシアに来てからはどれほどの観光地でも日本語を見る機会など全くなかったので、ちゃんと日本語版があることにちょっと驚いたのだが、ここには日本からの観光客もよく来るのだろうか。

 とまあチャイコフスキーの家博物館は半日でもいっぱいいっぱいのボリュームで、本当はもっと見所があったのだが、今回はこのへんにします。ロシア観光、まだまだつづく。

こち亀はどこで間違ったのか

こち亀の「くそ」化

 別にアンチを助長するわけでは決してないのだが、数年前以下に紹介されているスレを見つけて、スレタイトルから驚かされたのを思い出す。

https://iwacchi.tumblr.com/post/9786387090/くそらスレの歴史-くそら糞飾区糞有糞園前糞出所こち亀ver51-初代スレ

iwacchi.tumblr.com

 このスレタイトルがいかなる背景から登場するにいたったかということに関しては、以下の解説が参考になる。

 

解説
こち亀
こちら葛飾区亀有公園前派出所。作者は秋本治。1976年より週刊少年ジャンプにて連載開始、現在も連載中。
東京の下町・葛飾区の亀有公園前派出所を舞台に、破天荒な主人公の警官・両津勘吉が巻き起こす数々の騒動とそれらに彩りを添える多数の個性豊かなサブキャラクターの活躍を描いた痛快ギャグ漫画である。
初期はただの職務怠慢バイオレンスポリスマンだった両津だが、連載を重ねる毎に作者の画力の変化で丸みを帯びそれとともに圭角が取れた下町人情オヤジの要素が付加されていった。連載が軌道に乗った中期以降も、秋本治の緻密な取材とそれを活用する構成力、背景にまで細やかに気を遣う丹念さ、実験的で革新的なアイディアを武器に ジャンプ黄金期にあっても同作品は白眉であった。

 しかし、後期から現在に至り、女性キャラの奇乳化、女性新キャラの乱発無意味なロリキャラの登場、古参キャラの自我崩壊、起承転結を無視したストーリー、稚拙で場にそぐわないモブ・背景、少女漫画の描写を折衷させたが如き拙い筆致で連載を続け、無様な姿を晒す。同時に、両津は下町パワフル人情お巡りさんから 生意気娘のいる寿司屋の住み込み職人に転職。敬愛する春日八郎も忘却の彼方、脂の乗り切った30ぐらいの粋な女
(48巻/おにあいカップル!?の巻)が好みだったはずだが、今や単なるロリコン少女萌えオヤジとなりさがる。

くそら糞飾区糞有糞園前糞出所【こち亀】Ver.51(レス5番より)

 

 つまり「後期」におけるこち亀の変化を許すことのできない読者達が、現在のこち亀のあり様を貶すために用いられる言葉が「くそ」であるわけである。

 

 私自身は、長大なこち亀のすべてをカバーしているとはとても言えず、小学生の頃に中心的に読んだのは80~120だが、奇しくもこのあたりがこち亀の「後期」への移行期間であった。幼い私にも、「奇乳化」は目についた。もともとヒロインの胸はそれなりに大きく描かれていたのだがそれが巻を追うごとにいや増しになっていき、120巻ほどでピークを迎える。

 

 流行に聡く、凝り性の秋本氏のことだから、「今、女性の身体のデフォルメが来ている!」ということを90年代前半くらい(90巻台後半)に察知しそれに合わせていったのだろう。

 その認識自体は間違ってはいなかったのだろうが、まあ、あまりよい方向性ではなかったと思う。私は80巻台に一つの完成を見るような作者の下町への眼差しをこそこち亀の本領と捉えているからだ。

 

作者の下町への眼差し

 「作者の下町への眼差し」とはどういうことか。

 

 80巻台のこち亀を読むと、街並みを描写することに力が割かれているのがわかる。ストーリー上は必要ないような余りのコマに、ふと通りの一角が丹念に描きこまれていたりする。

 他のジャンプ漫画にこのような余りのコマはほとんどないといってよいだろう。通常どのコマも、何らかのキャラクタの動きや、ストーリー進行上不可欠な事物を描き出している。

 

 余りのコマに現れるしばしば異様なまでに力の入った下町描写は、漫画の企図が破天荒な警官両津勘吉の行動の描き出しにあるのではなく、その行動に焦点化することを通し、そのような行動が行われる街自体を描くことにあることを示していると考えられる。

 つまり80巻台のこち亀のコマは、それを描き出す作者が下町をどう見るのかという眼差しの物語でもあるのである。両津勘吉は、下町の風俗を描き出すきっかけとして機能している。

 

 私にとって80巻台のこち亀が面白かったのは、両津勘吉のキャラクタ造形に加えて、この作者の街並みへの眼差しだった。自分が下町を歩いたとしたら簡単に見落としてしまうであろう何の変哲も無い通りをあくまで丹念に描き出すことにより、そこに作者が感得している一種の情味が、読む私にもうつってくる。下町をみる見方というものを、私はこち亀から教わった気がするのである。

 

 だから、それが明らかに変化していく110巻以降を読むことは私に取って実りの多いものではなかった。上に引用した解説のうち、以下の部分は思わず頷いてしまう。

後期から現在に至り、女性キャラの奇乳化、女性新キャラの乱発無意味なロリキャラの登場、古参キャラの自我崩壊、起承転結を無視したストーリー、稚拙で場にそぐわないモブ・背景、少女漫画の描写を折衷させたが如き拙い筆致で連載を続け、無様な姿を晒す。同時に、両津は下町パワフル人情お巡りさんから 生意気娘のいる寿司屋の住み込み職人に転職。

 そう、110巻〜120巻台に顕在化した秋本の新路線は私には迷走にしか見えなかったのだ。

 

こち亀はどこで間違ったのか

 120巻以降もたまに古本屋でこち亀を立ち読みすることはあったが、それらの新路線が効いてきているようには思われなかった。路線転換期の「稚拙」さが改めて作家としての新しい境地を開くことに一抹の期待を抱いてはいたのだが…。

 やはり、こち亀の本領は下町の風俗描写であろう。もちろん、秋本は以降も折に触れてそれに立ち戻りはしていた。しかし120巻台以降の下町描写は過度な情味を読者に押し付けるようなものであり、正直、鬱陶しくて仕方がなかった。80巻台に見られたような冷静な観察者に徹する作者ではなく、「これが下町だ、どうだ?いいだろう?」と盛んにせまる推しの強い作者がそこにいた。下町への新たな見方をそっと差し出してくれるのではなしに、自分の見方こそが下町の見方なのだと強要してきた。しようがない。どうせ、何を書いても打ち切りになることはなかったのだろうから。

 

 

 

 

 

私的吉祥寺の喫茶店レビュー

 吉祥寺はとても混む街だ。文京区に引っ越してそれがよくわかった。

 市部で育った私は、引っ越す前、東京23区のど真ん中である文京区などは常に人でごった返しているものだとばかり思っていた。吉祥寺はいつも人が多いが、都内はもっとひどいのだと思っていた。

 事実は違った。休日昼間の吉祥寺駅周辺の混み具合に勝てるのは、文京区では東京ドーム界隈くらいではないか。引っ越した後ふと吉祥寺に寄り、こんなに混んでいるところで私は何年も本を読んだりレポートを書いたりしていたのか、と愕然とした。

 そう、私にとって大学・大学院時代の読書のホームグラウンドの一つは吉祥寺だった。読書に適した喫茶店は限られる。数年の蓄積を駆使して、いくつかの喫茶店をレビューしてみよう。

 先に断っておくが、私は行動範囲を広くとるタイプではない。一つ適切な場所を見つければ、そこに繰り返し通うタイプであるため、多くの店を知っているとは言い難い。私のレビューに価値があるとすれば、安価で、入りやすく(=個人経営ではない)、静かな場所を紹介しているという点においてであろう。

 とはいえ途中からただの喫茶店語りになっている部分もあるので、そこはそういうセクションなのだと思って読んでいただきたい。

 

1 ドトールコーヒーショップ吉祥寺元町通り店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13171400/

 

 ここは、雰囲気は悪くないのだが、どの時間帯をとってもあまりにも人が多すぎる。2年ほど前の改装で客一人あたりに与えられる机の面積が減った。快適に作業をすることができるような場所ではない。

 加えて、私が前期課程学生だった頃は勉強に寛容だったのだが、四年生頃から「11~18時には席を譲ってください」というような注意書きが置かれるようになった。

 書いていて思い出してきたのだが、店内ミュージックのボリュームが大きすぎて基本的にあまり集中できない。

 その他に付随して思い出されることは、常に向かい合って座っている一組の老夫婦がいることだ。家でじっとしているよりは、と思って出てきているのだろう。基本的に11時頃から、長い時は閉まるまでいる。そこの椅子で居眠りなどもしているのだ。

 脱線するが、喫茶店で居眠りしていいのかということに関して、議論はわかれるところであろう。私はそれはさすがに「なし」なのではないかと思っている。喫茶店は寝る場所ではない。一律に声を大にして禁ずると窮屈になるから、「居眠り禁止」という張り紙を貼ってほしくはないが、自分が店員だったら居眠りをする客を不快に思うだろう。居座ること自体の不快感もさることながら、喫茶店が公共空間であるが故に保たれている節度が揺らぐことにより、空間が心地よいものではなくなるような気がするからだ。

 

2 サンマルクカフェ吉祥寺北口駅前店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13102208/

 

 ここも店の雰囲気は悪くないが、人が多すぎる。とはいえ上述のドトールほどではない。3階の喫煙室に陣取れば、休日でも午前11時半くらいまではワンフロアに人が数人の状態で快適に過ごせる。

 平日はビジネスマンが多い。就職するまで、「この人たち働いているはずなのになぜこの時間に喫茶店に??」と常に疑問を抱いていた。営業の人が訪問先と訪問先の合間に休憩しつつ、PC等で業務をこなしているというのが正解だろうが、どっかり座って新聞を広げながら「すいません、いま大急ぎで得意先に向かっている最中で〜〜」とか言っている人もいたな。

 喫茶店に来る客とその目的は本当に様々だ。それを見るのは楽しい。何より、通常の社会生活の範囲内では見ることのない他人の私的な生活が微妙に垣間見えるのがよい

 

3 エクセルシオール吉祥寺サンロード店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13044576/

 

 ここもちょっと人が多すぎる。とはいえ、3階の喫煙室なら午前12時くらいまでは空いている。カップルや商談のサラリーマンが多く、店内は人が少なくても常に誰かしらの話し声が響いている印象。

 3階は自動ドアがうるさくてあまり集中できない。人が出入りするたびにブーンとなるので気が散ってしまう。しかし自動ドアでなくとも、うるさいかな。そんなに広くないことが問題か。3階は全面的に喫煙エリアなのだから、そもそもドアいらないと思うんだけど。

 自動ドアといえば、永田町のエクセルの喫煙室も自動ドアがうるさかった。エクセルの自動ドアはダメだ。

 禁煙の2階はすぐに埋まる。そこまでうるさくないが、朝を除き常にやや混んでいる吉祥寺としては普通の喫茶店。計算問題とかをがーっとやったり、単語をひたすら書き出すような勉強には適しているかも。1階は人の出入りが激しすぎてもはや道の延長、もしくはフードコートに近い。とても勉強をするような環境ではない。

 総じてこのエクセル、店内が明るく、利用者は吉祥寺らしい華やかなファッションを身につけており、おしゃれな街の賑やかな喫茶店という感じで、20分程度友人ととどまるぶんにはよい。読書には不向き。

 

4サンマルクカフェ吉祥寺元町通店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13026682/

 

 ここの3階は大正解。休日も13時ほどまでフロア全体の利用者が数人を超えない。完全に穴場だと思う。しかし、最近はありえないほど声の大きいパワフル系高齢者の集団(どうやらパチンコの帰りに寄ってきている?)が思い出したように数日に一度11時頃に到来するので、その時は2階や喫煙室の方に逃げ込む必要がある。

 環境としてはよいのだが、このサンマルクのカフェテーブルはほとんどすべてガタガタいう。どうにかならないかなあ本当に。サンマルクのカフェテーブルは地面と接する部分が点ではなく円であるため、経年変化により少しでも歪めば幾らかの部分が地面から離れることになってしまう。

 サンマルクに限らず、チェーン系の喫茶店のテーブルは総じてよくないし、大抵小さい。特に客が多い店は、収容人数を多くすることと引き換えに一人当たりのスペースを節約している。空いている喫茶店を見分けるこつは席数やテーブルの大きさである。

 

 ということで、勉強する場合、私は基本的にサンマルクカフェ吉祥寺元町通店を使っていた。

 しかし少しお金がある時なら、話は別である。以下は多少お金をつかってもいいかなと思う時に入る喫茶店。

 
5コメダ珈琲吉祥寺ダイヤ街店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13156365/

 

 利点は、入ってしまえばある程度のスペースが確保されること。コメダコーヒーの最大の強みはモーニング他名古屋譲りの以下略ではなく、単純に机がある程度大きいことだ。空いているときに要求すれば一人で四人用の席を使える。色々な書類を広げることができる。Wi-Fiもある。

 しかし、混雑するので、そもそも人が少ない場所がいいなら前述のサンマルク一択。もうある程度書くことが決まっているレポートをやっつけるべく、いろいろ広げたい時に利用できる。

 

6シャノアール吉祥寺店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13015926/

 

 若干入りづらさはあるがいたって普通の喫茶店。しかし騒音が気になる。手前は客の入店を知らせるアラートがうるさく、奥は厨房の音がうるさい。正直勉強には不向き。

 
7椿屋珈琲花仙堂

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13005861/

 

 よい。珈琲一杯700円くらいするので、気軽には入れないが、いつ言っても割と大きめなテーブル席がある。大抵静か〜ややうるさい程度だ。大混雑地帯の吉祥寺におけるオアシス的存在。

 
8ルノアール吉祥寺店

https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132001/13087004/

 

 こちらも椿屋花仙堂と同様。ただし駅近のため、お金を使ってもいいときは、主にこちらを利用していた。ただ、机と椅子にガタがきており、やけに低い。書き物をしたりすることのできる机ではない。しようとすると微妙に無理のある姿勢になってしまい、長時間はできない。

 ハイカルチャーなマダム達や壮年の経営者風の男性ら、リタイアしたアッパーミドルクラスの人々の溜まり場。休日昼間でも確実に座れる。

 結局、お金を出せば吉祥寺ほどの混雑地帯でもある程度の環境は得られるのだ。

 

 

「居心地のよい喫茶店」は幻想か

 

 書き出しながら思ったのだが、自分は居心地のよい場所を求めて渡り歩くということを継続的にしてきたのだなと思う。居心地のよい場所への執着心は、他の人より強いのかもしれない。

 それでは、それを見つけることができたのか?どうだろう。サンマルク吉祥寺元町店は、一つの正解であったと思う。しかし、そこに安住できたかと言われれば違って、大抵3時間もいれば飽きるので、別の場所に移動していた。結局、私はどこの喫茶店でも満足するということはないのだな、と思う。

 

 「居心地のよい喫茶店」とは、私の頭の中だけにある一種超越的な場であるのかもしれない。だとしたら、それを外の世界に求めるのは間違っているかもしれない。

 だとしても、「自分に取って居心地のよさとは何か?」というような内省は、居心地の悪い喫茶店で行えるようなものではないのである。都会の喧騒から退避できるスペースは依然私に取って重要だ。そういった場所であればこそ、私は自分の頭の中だけにある「居心地のよい喫茶店」を求めての新たな探求を開始することができるからだ。